しふみんの日記

しふみんの日記です。

末永く働き続けた方がいいなと思い始めている

このブログの筆者は臆病な人間なので、最初にディスクレイマーを書いておく。

筆者は今、転職活動をしていないし、現職をやめるつもりも特にはない。また、FIREに興味はあるが、FIREを早急に実行することはない。
360度から刺される可能性があるこんな世の中じゃ。

そういうわけで、本題に入っていく。

昔読んだ、今は消えてしまったブログ記事に、以下のようなことが書いてあった。

「無職も長く続けていると飽きる」なんて言っているが、無職に飽きるのではなく、お前の社会不適合者力が、とにかく怠け続けたいという怠惰な心が、社会の圧力程度に負けた、というのが正しい因果関係だろう。

わかりみが深い。僕は無職をしていた頃に、無職に飽きることはなかった。この意味においては、僕には社会不適合者力はあったと言える。

前職をやめてから今の会社に入るまでの2023年12月から2024年4月末の間、半年ほど無職をやっていた。この期間はまあ最高だった。

毎朝モーニングに行ってパソコンを触ったり本を読んだりして、昼に帰ってきてご飯を食べて昼寝して、夕方もまたカフェかファミレスに行く。平日は誇張なく週5でやっていた。まあ土日もなんだけど。ストレスフリーを体現していた。
あれ?転職活動は?

無職の欠点といえば、口座のお金がどんどん減っていくことだ。ただ、当時は株高の期間で、現金は減っていくのにトータルの資産は減っていなかった。

2024/08/05 日経平均が歴史上一番下がった日という記事では、「これはこのまま一生無職でいけるか?!」と呑気に思っていたと書いている。

shifumin.hatenadiary.com

当然のごとく、その大きな代償は2025年末から現在にかけて支払うことになった。

それでも、お金の問題さえなければ、無職をずっとやっていける自信はある。

自分、社会不適合者力には自信があります。次もいけます。やらせてください。

だから、「うおーFIREしてえ」「仕事やめて無職やりてえ」という気持ちがないこともなくて、ある程度お金が貯まったら仕事をやめてのんびりするのがいいのでは、とあわよくば考えていた時期が僕にもありました。

なにせ、実家の自分の(元)部屋のホワイトボードにこう書いていたくらいだ。

働かないで 好きな時に 好きなだけ 寝る生活を目指すぞ o(^_^)o

実家を出てしまったが、このホワイトボードは今もこの状態のままだ。

好きな時に好きなだけ寝る生活はまだ手に入れられていないが、今は自分の望む十分な睡眠時間を確保できている。ありがとう、フルリモート・フルフレックス。

そんな僕が最近、普通に末永く働き続けた方がいいのでは?と思い始めている。
この記事では、世の中で言われていることに逆張りしてみるぞ〜。

なぜ働き続けた方がいいと思い始めたのか?

今の会社はフルリモートで、普段はSlackなどのテキスト上でやりとりしたり、Meetで会話したりしている。ただ、たまに出社して、仕事の話をしたり、勉強会や会社のイベントで同僚と話したりすると、その時間が余計に心地よかったりする。やっぱりリアルは受ける刺激が違うんだよな。

ある程度同じ目的を持っていて、コンテキストも共有している人たちと、顔を合わせて業務の話をしたり、外部の勉強会に行って「じゃあ自分たちの組織にはどう生かせるか」と話したりする。なんか、社会をやってるなと感じる。「あ、これこれ」という気持ちになる。

人は社会的な生き物だというけれど、僕も例外ではなかったらしい。社会をやると「いいな」と感じる遺伝子が組み込まれている気がする。

原始時代の人たちも、今日はどこに狩りに行くか、獲物をどうやって仕留めるか、みたいなことを議論していたはずだ。そういう議論をしていた人間の遺伝子を受け継いで、今の僕がいる。

「社会をやる」とはつまり、目的とコンテキストを共有している人たちと、その目的のためにコミュニケーションを取ることだ。友達との一対一のコミュニケーションは、それはそれで尊いものなんだが、社会ではない。

社会をやることは、生きるのに必須ではない。でも、僕が思う「よりよく生きる」ためには、社会をやった方がいい。

そして、社会をやるのにいちばんコストが低いのが、会社に所属して働くことだと考えている。

社会をやるといっても、いきなりそこらの人とコミュニケーションバトルを始めるわけにはいかない。そこらの人といきなり組織を作るのも難しい。その点、会社では前提が共有されている。課題を解決したい、プロダクトを良くしたい、という目的があって、話すフォーマットというかプロトコルがある程度決まっている。だから、僕のようなコミュ症でもコミュニケーションが取りやすい。

しかも、所属している会社のカルチャーに自分が合っているなら、そこにいる人たちともカルチャーが合っているはずだ。つまり、一緒に働きたいというか、一緒にいたい人と一緒にいられている、みたいな要素もある。

そして、お金である。残念ながら、富豪や資本家の家に生まれたわけではないので、やっぱりお金を稼ぐ必要がある。で、会社に所属して働くと、お金をもらいながらついでに社会をやることもできて一石二鳥だ。

というわけで、僕の場合は、FIREもアーリーリタイアもせず、なるべく一般的なジャパニーズパーソンがリタイアする歳くらいまでは、会社に所属して働き続けた方が良いのではなかろうか。

まあ、歳を取るとどんどん能力が衰えていくので、会社の戦力でいるためには、やっぱりある程度の努力は必要そうだ。

あと、こう思えているのは、今の職場が自分にとってある程度良い環境だから、というのもありそうだ。

環境を整えれば勝てるという記事にも書いたが、僕は人間の大部分は環境で決まると思っている。

shifumin.hatenadiary.com

逆に言うと、合わない環境だったら、やっぱりやめたい気持ちになっていたと思う。まあ、プロジェクトやチームにもよる変動はもちろんありそうだけど。

それにしても、逆張りしたはずが、王道に行き着いてしまった。

/

ここまで色々と書いたが、お金を稼ぎながら社会をやるなら、会社に所属して働くのが楽というだけの話である。もしも仮に100億円が空から降ってきたら、普通にFIREして、お金を使いながら別の形で社会をやりに行く気がしないでもない。

身も蓋もないが、結局金やんけという気がする。金があればFIREするんや。

しかしながら、空からいきなり100億円は降ってこないので、そこは安心してほしい(?)

この記事を書いていて思い出したことがある。

20年ほど前、まだ僕が学生だった頃、そろそろ""投資""ってやつをやるかなと思って、投資関連の本をいくつか読んだ。その中の一つに藤沢数希さんの「なぜ投資のプロはサルに負けるのか?」があって、その第6章のタイトルが「それでも投資したい人のために」だった。その最初の節のタイトルが「投資なんてせずに会社に行って上司に怒鳴られながら一生懸命働くのが一番」だった。

つまりはそういうことである。

一生懸命働くぞ o(^_^)o

関連

従量課金だと常にコストの計算が走ってしまう

従量課金は、やはり難しいと感じる。

なぜそう感じたかというと、コストの計算がシビアになるからだ。

きっかけはテスラを買うとしたらとコストを試算したことだ。テスラが欲しい(2026年秋)という記事にも書いたが、僕の用途だと乗るのは週末だけだ。その頻度なら、毎回カーシェアで借りても(借りるたびに払うので、1回の利用ごとに見ればこれも従量課金だ)所有するよりコストを抑えられる。合理的に考えると、カーシェア一択となる(カーシェアの場所まで移動する手間などは一旦無視する)。

この周辺について色々と思考を巡らせているうちに、従量課金だと、常にコストの計算が走ってしまうのでは?というアイデアに取り憑かれてしまった。

従量課金はコストしか見えなくなる

従量課金は都度払いなので、使うたびに判断が走る。その毎回の判断で、コストのことが頭にチラつく。

これは使う価値、支払う価値があるのか?そう考えるごとに、コストに対する評価のウェイトが高まっていく気がする。

その結果、そもそも利用頻度が低くて、想定どおりに使っても使い放題より安く済む場合でも、つい使わない方に寄ってしまう。結構頑張って意識的に使わないと、どうしても節約してしまうのだ。

とりあえず使う、ということが難しい。特にコスパ厨と呼ばれる人(僕)たちにとってはね。

これはパラドックスなのではないか。コスパ厨はコスパを追い求めるからこそ、都度払いの場面では頭の中で計算が走ってしまって、結果としてコスパを追い求めることができなくなる。

真の意味でコスパを追い求めた時に、使わない・買わないが最適な選択である可能性は結構低いはずだ。もちろん、そういう場合もあることにはあるんだけど。

本来、コストとパフォーマンスは一体で見ないといけない。それなのに、パフォーマンスを見る前にまずコストが頭に来てしまう。ここが従量課金の難しいところだと考える。

比較対象が人生全体に広がる

では、なぜ使い控えが起きるのか?

利用頻度が低ければ、使い放題より従量課金の方がコストは低くなる。理論上は、コスパがいいはずだ。

しかし、手持ちのお金は有限だ。例えばタクシーなら、使い控えて節約できた分は、タクシー以外のところに使える。

つまり、比べる相手が生活全体になってしまう。いや、時間軸を未来まで延ばすと、人生全体になるか。

タクシーと比べるべきなのは、本当は車を所有して乗り放題にすることのはずだ。それなのに人生全体の他の機会と比べてしまうから、使い控えが起きるんじゃないかな。

行動経済学っぽい話だが、人間の合理性には限界がある。

俺が、俺たちが、経済学が示す合理性を取れない人間だ!!

計算を前払いする

都度の計算を止める方法として面白かったのが、先日友人から聞いたタクシー利用についての話だ。

友人は、月々の金額を決めてタクシーを使っているという。それも、月にここまでなら許容するという上限の意味ではない。この金額までは積極的にタクシーを使ってみる、という取り組みだった。

仕組みとしてはありだなと思った。先に予算を決めてしまえば、使う時に都度計算しなくて済む。頭の中ではどうしても計算してしまうのだけど、それを強制的に止められる。

僕はこれを計算を前払いする仕組みだというふうに捉えた。

月々これくらいの金額まで使うのが一番コスパがいい、という値をあらかじめ決めておく。実行する時は、その金額を使うことをまず目的にする。

予算を使い切るために要らないタクシーに乗るのでは?と思うかもしれない。

そういう使い方も出てきてしまうだろう。ただ、「探索」のフェーズとしては良さそうだと考えている。使ってみないことには、使い勝手、つまりパフォーマンスを評価できないからだ。

タクシーは、車のように所有して使い放題にはできない。でも、友人のように予算を設定すれば、疑似的に所有することはできる。

ハズレも予算に組み込む

自分でやるとしたら、新しい飲食店の開拓で試したい。まだ実践はこれからだけど。

新しい店に行こうとすると、この1回に支払う価値があるのか、の計算が都度走る。ハズレたら払ったお金がもったいないからだ。結局、知っている店に逃げてしまう。そうか、だから僕は阿吽に行きまくっているんだな。

そこで、ハズレも込みにして、件数で予算を決める。月に数軒くらい。候補は気になった時にリストに入れておいて、行く日はリストの上から順に行くだけにする。ここでも計算を前払いするのだ。

以前、探索と活用3 毎回新しいものを1つだけ買うでは、新しい食品を1つだけ買うルールを自分に課していた。ああ……それにしても刺激が欲しいっ……!!や最善手以外を潰しておくでも、行ったことのない店に行きたいと書いている。なんか、いつも同じことを書いているな。

/

予算で疑似的に所有するのも、一案としてありだと思う。

所有の真の価値は、使い放題の権利だと考える。

テスラの記事で、変動費だと使うのを抑える方向に、固定費だと使う方向にインセンティブが働く、と書いた。要は、所有すると使い放題になる。当たり前のことを書いている気がするが、この側面は大きい。

shifumin.hatenadiary.com

都度払いしなくていい。従量課金のことを考えなくていい。コスパの計算をしなくていい。所有するとコストはバカでかくなるけど、少なくとも使い控えは抑えられる。

とはいえ、コスパだけを考えると、それでもカーシェアを都度使うべきなのだろう。でも、僕はそうしない。理屈は後付けにすぎない。テスラが欲しいからテスラを買う。それでいいじゃないか。

計算どおりに人生を進めるのは、知っている店にばかり行くようなものだと思う。阿吽の汁なし担々麺は確かに美味しいのだが、それだけだと刺激がどんどん減っていく(いや、阿吽の担々麺は辛くて刺激はあるのだが)。

……という、テスラが欲しいという感情を理屈づける記事なのであった(完)

関連

AIに学習されに行く

長期休暇の時の日記を除くと、しばらくの間ブログを書くのをやめていた。
しかし、週1でブログを書くのを再開して、この記事が5つ目になる。

再開した理由は2つある。

1つは、友人が書いた転職関係の記事を読んで、ブログっていいなと思ったから。実体験と、それに付随してどう考えたかが書いてあって、interestingな面白さがあると思った。やっぱり、N=1の実体験の話には良さがある。

そしてもう1つの理由は、AIに学習されに行くためである。

AI学習禁止の逆を行く

Xを見ていると、プロフィールに「AI学習禁止」と書いているイラストレーターをよく見かける。

学習されたくないという気持ちは、わからなくはない。ただ、僕は最近、むしろAIに学習してもらった方が良いのでは?AIに学習してもらうことはポジティブなのではないか?と思い始めている。

もし僕が絵を描けたら、描いたイラストはどんどん学習されてほしい。自分の絵柄をAIが学習してくれて、それを出力に使えたら便利だし面白いな、くらいに思っている。AI時代は、学習されるポジションに陣取る方が有利になるんじゃないかという気がしている(絵で食べている人の事情は、また別の話だと思う)。

しかし、残念なことに僕は絵が描けない。

俺はブログで行く

では、絵が描けない僕は何を学習されに行けばいいのか?

今やインターネット上にあるものは、大抵AIに学習されている。つまり、創作物をインターネット上に放流すれば、学習されに行くという目的は達成できそうだ。

そして僕は、以前からブログを書いている。ブログ記事も創作物の1つであると言えるはずだ。

したがって、僕の場合はブログ記事を書くのが良さそうだ。

それに、今はAIといえばLLM、つまり大規模言語モデルである。言語モデルなのだから、素直に文章を渡すのが、いちばん学習材料として役に立つ気がする。

文章ならXでもいいのだが、テーマを決めて少し掘り下げ、自分の考えをまとめようとすると、それなりの長さになる。そうなると、置き場所としてはブログがちょうどいい。

ブログは術式の開示

以前にブログ記事を書いていたのは、シグナリングのためでもあった。

もちろん、何かアウトプットしておくかという気軽な気持ちもあった。ただ、それより大きかったのは、周囲の人に自分の考えを説明するための使い方だ。先にブログを書いておいて、「〇〇というテーマに対する僕の考えはこれです」とリンクを渡す。

あるテーマについて深くどう考えているか、みたいな話を、リアルの会話でいきなり始めるのは難しい。人それぞれの立場や立ち位置もあるので踏み込みづらいし、コンテキストの共有もできていないしね。

そこでブログである。自分の考えや思想を先に書いておけば、相手が読んでくれていた場合、その前提を共有したうえで会話ができる。

例えば、発言は文字通り受け取る、他人にイライラしない、全ての選択は妥協であるといった記事は、まさに自分の考え方を先に出しておいたものだ。

shifumin.hatenadiary.com

shifumin.hatenadiary.com

shifumin.hatenadiary.com

そうだ、僕は術式の開示をやっているんだ。

実際、リアルで誰かと会った際の雑談が「ブログ読みました」から始まることがある。コスパの話だったり、テスラの話だったり。読んでもらっているおかげで「そうなんですよ、こんなことがあったんですよ」と入りやすいし、考え方のシグナリングも済んでいるので話が早い。

shifumin.hatenadiary.com

shifumin.hatenadiary.com

コスパの話でいうと、「コスパと言いながらコストしか見ていない」という批判がよくある。ただ、僕はパフォーマンスとコストのレシオをちゃんと見ているつもりだし、世の中にはパフォーマンスまで見ている本物のコスパ厨たちもいるはずだ。既に本物のコスパ厨である皆さんにおかれましては、末永くお付き合いしていきましょう。

少し話がズレた気もするが、僕はこういう思想を持っているというシグナリングを、ブログで出していきたいのだ。

情報はできるだけ落とした方がいいという記事にも書いたが、このブログを読んでいる人は、広い意味で僕とマッチングしているようなものだ。そして今はそれを、人間だけでなくAIにもやっておきたいと思っている。

shifumin.hatenadiary.com

AIの知識に染み込む

AIに学習してもらうのがポジティブだと思うのは、AIの知識の中に、自分を残せるからだ。

しふみんという人はこういうことを考えていて、こういう文体でブログを書いている。そんなことをAIが知っていたら、便利だし面白そうじゃないか。

振り返ると、友人のN=1の実体験の記事に惹かれて再開したうえに、このブログのタイトルは「しふみんの日記」なのに、考え方や思想の話ばっかり書いている気もする。あるテーマについて「僕はこう考えている(ドン!)」という記事が多い。

結局、メインはアイデアや思想の開示、いわゆる思考のデッキ公開なのだ。

主張や思想は、どんどん共有していった方が良いことの方が多い。主張も思想もフルオープンでいいと思っている(とはいえ、物によるのはそれはそう)。

3年前の自分の発言を論理的に補強したいという欲という記事では、「俺はこの世界に情報を落としていきたい。このブログもそのための道具だ。」と書いていた。その道具の届け先に、今はAIも入っている。

shifumin.hatenadiary.com

AI時代に表明しておくなら、プライベートの情報より考え方や思想だ。思想を表明して、「精一杯 存在の証明」をしておきたいんだ。

/

自分の情報がAIに学習されるのは怖くないのか?

もちろん、ネガティブな面はあるだろう。そのままの話だが、AIに聞けば自分の情報がわかってしまうことだ。

ただ、このブログにはそこまで個人情報を書いていない。学習されるとしたらブログ丸ごとだろうが、その中身も考え方や思想の話が多いので、そこまで大きなリスクはないと思っている。

期待込みではあるが、今のところはポジティブな側面の方が大きいと考えている。

そもそも僕は、テクノロジーに対して楽観的でいたい人間だ。

2009年に今のアカウントでTwitter(新X)を始めて、Twitterのプロフィールは割と初期に設定したまま変えていない。プロフィールの最後は「and life for innocence」だ。昔やっていたぷよぷよのブログにも、Puyopuyo For Innocenceというタイトルを付けていた。当時は無邪気にぷよぷよをプレイしていて、何となくその無邪気さがずっと続けばいいのになという気持ちを持っていた。

テクノロジーへの楽観も、たぶんこのfor innocenceの延長にある。

さらに古くは、梅田望夫さんの『ウェブ進化論』である。あの頃のテクノロジーに対する楽観、技術が発展してその恩恵を受けていくんだろうなという感覚を、今でもまだ持っていたい。AIにも、世界を良くしていく方向に進んでほしいと思っている。

総論として、AIの進化を前向きに見ていきたい(昨今の大個人情報漏洩時代は怖いけどね?)。

テクノロジーに対する楽観主義を、今後も貫いていくぞo(^-^)o

関連

常に体調がうっすらと悪いため、体調が悪くなったと感じない

先日、同僚に「体調をあまり崩さないですよね?」と言われた。

その時は「まあ、そうかもですね」と普通に返した。

ただ、後から考えると、そうかもしれないけど、そうじゃない気もしてきた。僕は体調を崩していないのではなく、崩していることに気づいていないだけなのでは?

なぜ気づかないのか。それは、常に体調がうっすらと悪いからだ。

アラフォーなのでね。

皆大好きHUNTER×HUNTERのモラウの台詞のとおり、毎日が「絶好調を100とするなら40…いや35ってとこか」なのである。

出典: 冨樫義博『HUNTER×HUNTER』24巻(集英社) No.260「1-④」より

この35は、熱は出ていないけど体調が悪い状態。本当に体調が悪い日は20とかになって、そこでようやく熱が出るんだろうけど。
もちろん体調の振れはあって、上振れの日も下振れの日もある。ただ、普段から35なので、下振れをあまり深刻に感じないようになっているのかもしれない。体調が悪いと感じても、「いつも体調が悪いしな」で済んでしまうのだ。

人は結局、相対的にしか物事を判断できない。
もっと言うと、常に体調がうっすらと悪いのではなく、「体調がうっすらと悪い」状態が普通のコンディションになったと考えるべきかもしれない。

その普通が35になったのは、33歳くらいからだった気がする。いや、33歳の頃はまだ50くらいだったかな。

老化で徐々に体調は落ちていたのだろうけど、そのくらいの年から歳を明確に実感するようになった。昔は一晩寝たら回復することが多かったのに、寝ても疲れが翌日まで残ることが増えた。

3年前の「プリズナートレーニングを始めた」という記事では「歳を取ると『何もしない』で体調が悪化していくのですごい。」と書いていた。

shifumin.hatenadiary.com

なお、プリズナートレーニングはもうやっていない。人生って試行錯誤の連続だから……。

老化により最大HPとMPは徐々に減っていっているはずだ。だから、自分の体調の物差しもそれに合わせてキャリブレーションしていく必要がある。

せめて、HPはこれ以上削られないように、やることはやっている。

睡眠を取る。体を冷やさない。無理をしない。人と会わないなどだ。 中でも人と会わないことは、HP云々よりも、体調を崩さないことにダイレクトに効いていそうだ。結局、体調を崩す要因は外からやってくるのでね。
人と会わないのか、会う人がいなくて会えないのかは、考える必要があるが。僕は友達が少ない。

それとは別に、走ってもいる。今は日課として走っているが、これはフルマラソン完走を目指すためのトレーニングという位置付けで、最初から体調をよくするために走り始めたわけではない。

shifumin.hatenadiary.com

しかし、走る、というか有酸素運動が明らかに体調に効いている。まず寝つきが良い。体が疲れているからだ。それだけじゃなく、最大HPの方にも効いている感覚がある。
それに、走った後は気分が晴れる。しかも、走った直後だけじゃなく、普段から頭がすっきりするようになった気がする。常時バフがかかっている感じだ。つまりMPにも効いている。アンデシュ・ハンセンの『運動脳』にもそう書いてあったし、きっとそう。
筋トレと有酸素を両方やってみた実体験として、健康目的なら筋トレよりも有酸素の方が良いと自分は考える。とはいえ、両方やる方が良いとは思うので有酸素:筋トレが8:2くらいが良さそう。
マラソン大会参加後も、日課のジョギングは続けると思う。

同僚には「まあ、そうかもですね」と返したけど、正確には違う。常に体調がうっすらと悪いため、体調が悪くなったと感じないだけなのだ。

ポジティブに考えると、これはアドなのではないか。体調が下振れしても気づかずに済むのだから、便利だしお得だ。
それに、体調が一晩で回復しないおかげで、昨日からの連続性を感じながら生きていける。

老化と向き合いながら人生をやっていきましょう。

関連

小学生の思い出 ~コロコロキッズでゲーム少年だった頃~

@imaharuが小学生の思い出を振り返っていてよかったので、後に続く(半年の時を経て)。思い立ったが吉日よ。

元の記事はこちら。

imaharu-blog.hatenadiary.jp

全てを思い出そうとして振り返ったら、結構なボリュームになった。

しかし、こういうのは全部書いておくと後々何かしらのフックになるので、あまりまとめようとせずに書いてみた。

前提

  • 昭和末期生まれの男性
  • 兵庫県の播磨エリア出身
  • 二人兄妹の長男
  • 父は会社員、母は近所でパート
  • 実家は戸建て
  • 公立の小学校。1クラス35人くらいが2クラスで、1学年70人くらい

通学路

小学校までは、小学生の足で徒歩20分くらいだった。

登校は同じ地区の小学生で集団登校。下校はたまに集団下校もあったが、基本は各自で帰っていた。

集団登校には、1年生から6年生までが集まる。そこで上級生が、雑談がてら下級生に自作のテーブルトークRPGをプレイさせるのが流行っていた。

「目の前に洞窟が現れた。どうしますか?」「洞窟に入る」「スライムが現れた。どうしますか?」「戦う」みたいなやりとりである。
語り手によっては難易度が変わり、理不尽なゲームマスターの場合はマジで理不尽なゲームとなっていた記憶がある。

このセルフTRPGは代々、上の学年から下の学年へ伝わっていき、下級生が上級生になると、また次の世代へ伝わっていった。今思うと立派な文化継承だった。

授業と休み時間

授業中の思い出は、あまりない。

覚えているのは、小学4年から黒板が見えづらくなって、メガネをかけ始めたことだ。一番後ろの席だと特にきつかった。

原因は多分ゲームボーイだ。モノクロの画面を、寝る前に暗い部屋でよくプレイしていた。まあ低学年からずっとあの画面を凝視していたら、目は悪くなるわな。

当時は小学4年でメガネの子はほとんどいなかった気がする。現代はそうではないのだろうけど。

休み時間は、朝の会までの時間と2時間目後の20分休みが外遊びだった。1年はドッジボール、2〜3年はキックベース。1学年2クラスだったので、クラス別の対戦が多かった。

あの頃は登校したらとりあえず運動場に出てボール遊びをしていた。元気だったな。

3年の休み時間は、もっぱらドラクエバトルえんぴつだった。
特別ルールは、HP200で、モンスターのえんぴつに装備キャップを2つつけて戦うというもの。机を2つくっつけて最大4人で対戦していた。

4年の休み時間は、あまり覚えていない。机の上でコマ回しの対戦をしていた記憶はあるので、コマ関係のイベントが小学校であったかもしれない。

高学年の休み時間に至っては、ほとんど記憶がない。覚えているのは、一時期クラスメイトが紙で紙幣を作って造幣局をやり、クラスの中で""経済""をやっていたことくらいだ。

給食

給食といえば黄金パンだ。皆好きだったと思う。

黄金パンは、兵庫県加古川市や高砂市など東播磨地域で親しまれている、きなこをまぶした「きなこ揚げパン」の呼称らしい。

献立は曜日で決まっていて、月・水・金が洋食、火・木が和食だった。

ただ、僕は全体的に野菜が嫌いだったので、嫌いなものが多かった。特に和食の火・木は嫌いな献立が多く、洋食の月・水・金はまあ普通。

牛乳は嫌いではなかった。

小学生にありがちかもしれないが、低学年の頃は給食の早食いをしていた。

きっかけは、クラスに陸上をやっていて、食べるのもいつもめちゃくちゃ早い女子がいたことだ。その子に密かに、いや密かではなかったかもしれないが、対抗心があったのである。

しかし、ある日突然「冷静に考えるとご飯は普通に食べた方がいいな」と悟りを開いて、普通に食べるようになった。

行事

遠足や社会見学は、どこかしら色々行った記憶はあるものの、もう何も覚えていない。小学4年の林間学校は、飯盒炊爨のカレーと、夜に皆でやったドラクエのバトルえんぴつくらい。小学6年の修学旅行は広島に行った気がするが、体調を崩して部屋で寝ていた気もする。

林間学校の時、僕はクラスの委員長で、クラスを取りまとめたりしていた。

運動会では地区対抗リレーなどの代表によく出ていて、マラソン大会も上位ではあった気がする。運動神経はあまり良くなかったけど。

小学生男児は、えてして足が速いと序列が高い。後述する入院までは、クラス内のカーストも割と高かった気がする。

行事系で特に記憶に残っているのは、音楽系の2つの出来事だ。

小学2年の時に、高学年クラスが音楽会で演奏していた曲がずっと気になっていた。曲名が分からなくて、記憶だけを頼りに調べていた。ドリカムの「晴れたらいいね」にたどり着いたのは高校生になってからだ。

www.youtube.com

もう1つは、卒業式の入場BGMだ。毎回の練習で聞いてからずっと格好いいなと思っていたけど、こちらも何の曲か分からず、ずっとタイタニックか何かのテーマだと思っていた。判明したのは大学生になってから。まさかApollo 13のEnd Titlesだったとは。

www.youtube.com

勉強

勉強は普通だった。落ちこぼれてはいなかったが、特に頭が良いキャラでもなかった。通知表は大体が3だった。

塾には行かなかった。親から「塾に行くか?」と確認されることも催促されることもなかったし、そもそも勉強は好きではなかったからだ。これは中学以降も続き、結局人生で塾や予備校に行くことはなかった。

高校は、偏差値51の公立高校に進学している。

後から振り返ると、勉強への特性が普通で、親も教育熱心ではなく塾にも行かせないと、マジで平均のど真ん中になるんだな、という納得感がある。

そう考えると、首都圏の親が子供に中学受験をさせたがるのも分かる気がする。

大学受験だけは、なぜかやる気があって頑張ったけど、それはまた後日の別の話だ。

ゲーム

小学生時代は、ずっとゲームをしていた。ザ・ゲーム少年である。

ゲームボーイは小学1年、プレイステーションは小学3年、ニンテンドー64は小学4年で買ってもらった。

スーパーファミコン(SFC)は持っていなかった。というか、買ってもらえなかった。

低学年の頃は据え置きのテレビゲーム機を買ってもらえなかったので、代わりにゲームボーイを買ってもらって、ずっとプレイしていた。

そのぶん、SFCを持っている友達の家によく遊びに行って、プレイするのを見たり、スト2やがんばれゴエモンをやらせてもらったりしていた。

SFCを持っていないのに、実質週5くらいでプレイしていたかもしれない。

中学年に入った段階で、なぜかテレビゲームを買ってもらえるようになった。なぜかというか、僕がずっとめちゃくちゃ欲しがっていたからかもしれない。

祖父母にも、たまにゲームを買ってもらっていた。お年玉、クリスマス、誕生日、あとなぜか子供の日にもプレゼントがあって、それでやりくりしていた。

各行事のプレゼントは、99%ゲームだった。ゲームハードは高かったので、何個かのプレゼントを合算して1台買ってもらった。まあこれもゲームか。

ダイエーの試遊台

近所のダイエーのおもちゃコーナーには、ゲームの試遊台があって、自由にプレイできた。

親の買い物についていっては、ずっと試遊台でゲームをしていた。ゲームのプレイ時間を最大化するのはゲーム少年の定めだ。

スターフォックス、マリオペイント、超魔界村、そしてセガサターンのバーチャファイターはプレイした記憶がある。あとはマリオ64もかな。バーチャルボーイも記憶にあるな。あれ、バーチャルボーイって小学生の頃だったっけな。

他の子供もいるので、交代でプレイすることが多かった。親の買い物が終わるまで、ずっとそこにいた。

買い物のルーティンは決まっていた。

  • まずスーパーのお菓子コーナーに行って、毎回100円くらいのお菓子を選ぶ
  • 次に母親を見つけて、選んだお菓子を買い物カートに入れる
  • そのあとゲームの試遊台コーナーに行き、プレイしながら母親の買い物が終わるのを待つ

親の買い物への同行は、僕にとってお菓子とゲームプレイ機会の両方を獲得できる大幅アドイベントだったのである。

ポケモン

ポケモン赤緑は、さすがに小学校のクラスで流行った。

発売日の近くに、赤を買ってもらった。実家から徒歩30秒くらいの所に住んでいる同級生の友人が緑を買うというので、自分は赤にした記憶がある。御三家はもちろんヒトカゲで、ジムリーダー戦の最初の方は苦労した。

後にコロコロコミックの誌上通販で青も手に入れた。

通信ケーブルを繋いでの友達との対戦は、LV100の6匹バトルが定番だった。バグ技でミュウツーを量産して、ミュウツー6匹同士で対戦するのだ。大体はふぶきとれいとうビームで、先に凍らせるかを競う運ゲーだった。種族値努力値の概念はもちろん知らなくて各能力値が低く、じこさいせいでの回復が間に合って倒しきれないからだ。

通信交換で進化するポケモン(カイリキー、ゲンガー、ゴローニャ、フーディン)の進化方法は、当初は分からなかった。当時はネットにアクセスできなかったし、攻略本もほとんどなかった。この4匹は、長いこと図鑑が埋まらなかったのである。

攻略本は、「ポケットモンスターを遊びつくす本」しか発売されていなかった気がする。

note.com

ただ、たまたま友人とポケモン(確かゴーリキーだった気がする)を交換したら進化して、「通信交換で進化するポケモンがいること」を自分たちで""発見した""。

もしかして図鑑が埋まっていない残りの4匹も、通信進化か?!と気づいた時は熱かった。そしてこの発見は、クラスに広まっていったのである。

友達の家のマリオ64

N64を買ってもらう前、先に友達の一人がN64とマリオ64を買ってもらっていて、よく遊びに行ってプレイしていた。

その友人は中学受験をする教育熱心な家庭で、よくそのお母さんに怒られていた。怒られていたのは僕たちだ。

親としては、息子に勉強させたいのに、僕たちがよく遊びに来るので勉強できない。あまりよく思っていなかった、というのはありそうだ。後から振り返ると、たぶんそうだったんだろうなという感じである。

当時の僕は、中学受験という概念を全く知らなかった。地方だしね。「なんで普通にしていたら地元の公立中に進むはずなのに、別のところを受験するんだろう?」と素朴に思っていた。

その友人は結局私立中学に進学してそのタイミングで交流が途絶えた。当時は連絡を取る手段もなかったのでやむなしだった。

後日談だが、高校3年の時に外部の模試を受けに行ったら、その友人にバッタリ再会した。人生にはこういう再会イベントもあるんだなと思った。

スマブラ

ポケモン以外で思い出深いタイトルは、ニンテンドー64版のスマブラだ。

来る日も来る日も、自宅で友達とスマブラで対戦していた。4人以下ならずっとプレイして、5人以上なら4位抜け交代でずっとプレイしていた。あの頃は一生スマブラしてた。

自宅にニンテンドー64とスマブラがあったので、友達の溜まり場になっていたのである。ありがとう64、ありがとうスマブラ。

僕はずっとピカチュウを使っていた。

僕に限らず周りもスマブラというものをよく分かっておらず、コンボという概念も知らなかった。なので基本的に投げ主体で戦っていたし、スマブラとはそういうものだと思っていた。

後日談として、中学に進級してから他の小学校出身の同級生と対戦したら、コンボを鮮やかに決められてダメージを稼がれた。そういうのもあるのかと感心した。文化の伝搬ってこんな感じなんだろうなと思った。

小学6年の時には、この小学校で誰が一番スマブラが強いかを決めようぜと思い立って、自分の家で総当たりの最強決定戦を開いた。

10名以上が家に来た。あの日が自宅に呼んだ友達の数が一番多い日だったはずだ。

ちなみに、自分は1位じゃなかった。2位か3位だった気がする。1位は後に警察官になるフォックス使いの子だった気がする。

64のスマブラは最高のゲームだったな。

ゲーム雑誌のライターになりたかった

小学生の頃は電撃PlayStationと電撃NINTENDO64を愛読していて、それぞれのライターの影響を受けていた。特に電撃PlayStationの読者投稿コーナーのコラム(ライターが書いていたやつ)がとても面白いと思って読んでいた。

そして、ゲーム雑誌のライターになりたかった。小学校を卒業する時点でなりたかった職業がこれで、卒業文集の将来なりたい職業にもそう書いた気がする。

ゲームを作る側ではなく、プレイする側がいいなと思っていた。そこには、ゲーム少年として当然の帰結があった。

放課後の遊び

遊びに行く時には、いつも偶然性があった。放課後の話だ。

連絡手段がなく、家電もあまり使わなかった。なので、アポなしで友達の家に行きピンポンを鳴らして、在宅していたら一緒に遊ぶ。

その友達がいなかったら、どこに行ったかを聞いて自分もそっちに合流するか、別の友達の家に行く。あまりに偶発性が高くて良すぎる。

逆に、自分の家で友達と遊んでいる時にピンポンが鳴って、別の友達が合流するパターンもあった。

校区外へ皆で自転車で出かけたりもした。今思うと、小学生時代が人生で一番リア充だった。

そういえば小学3年の時、外で遊んでいて蜂に刺されたことがあった。当時はそのまま普通に放置してその後も特に何ともなかった。ただ、もしかして今また蜂に刺されたら、アナフィラキシーショックで死ぬ可能性はあるのか?

コロコロ世代

小学校低学年の頃からコロコロコミックを愛読していて、高学年まで、ピュアなコロコロキッズとして忠実に生きていた。

コロコロは親に買ってもらっていて、確か15日だったと思うが毎月の発売日が待ち遠しかった。他には同じ小学館の学年ごとの「小学◯年生」の雑誌も買ってもらっていた。

当時のコロコロでブームだったものは、一通り体験していた気がする。

小学2年くらいまでは、自由帳に1ページ9コマ固定で漫画を描いていた。マリオやカービィの漫画で、これはコロコロの影響だろう。ボンボンもたまに読んでいたが、基本はコロコロ派だった。

マリオワールドのような横スクロールのゲームのステージも自由帳に描いて、クラスメイトに消しゴムなどで動かしてプレイしてもらう遊びも、クラスで流行っていた。

小学2〜3年は、ミニ四駆にハマっていた。ちょうど爆走兄弟レッツ&ゴー!!の連載がコロコロで始まって、ミニ四駆がブームになっていたのである。まあコロコロキッズなら当然ミニ四駆もかっ飛ばす。

校区内の模型店がミニ四駆を取り扱っていて(というか当時はブームだったので、ミニ四駆がメインだった)、放課後や土日はこの模型店に通うことが多かった。

屋外のスペースにはミニ四駆のコースが常設されていて、そこで走らせることができた。店内には、休憩スペースというかミニ四駆をいじるスペースもあった。行くと、大体同じ小学校の子供がいた。

小学3年の時にそこでミニ四駆の大会が開催されたので、参加した。そしたらたまたまだけど、優勝できて金メダルをもらった。人生で唯一の金メダル獲得経験だ。マシンはブラックセイバーだった。

後日談として、その模型店はいつの間にか美容室になっていた。時の流れよ〜。

ちなみに、思い出のゲームショップが美容院になっていた話は、これ以上好きなキャラはもう現れないかもしれないにも書いていた。

shifumin.hatenadiary.com

ポケモンも当然ここに入るが、ゲームの話でもう書いたので省略する。

ハイパーヨーヨーが流行っていたのは、小学校高学年の時かな。ステルスブレイン、ファイヤーボールあたりを持っていた気がする。

学校では流石に禁止されていたような気がして、持っていかなかった。友達と遊ぶ時にやっていた。技は、ロングスリーパー、ループザループ、スプリットジアトムくらいしかもう覚えていないな。

画像を見ると懐かしい気持ちになる。

ja.wikipedia.org

テレビ

アニメは、飛べ!イサミ、ドラゴンボールGT、はれぶたあたりが記憶に残っている。ポケモンショックも経験した。

www2.nhk.or.jp

映画は、高学年くらいから洋画がかなり好きになって、木曜から日曜の洋画劇場や金曜ロードショーは、ほとんど全て欠かさず見ていた。割と中学生の頃とかぶる気はするけど。

テレビで放送していた映画で記憶に残っているのは、もののけ姫、カリオストロの城、ラピュタかなあ。なんか今でも金曜ロードショーでやっている内容だな。洋画だとプレデターか。てか、単純に放送回数が多いから記憶に残っているだけの気がする。

今も残っているのは金曜ロードショーくらいで、洋画劇場はもうないもんな。

映画館へは、ほとんど行かなかった。主に金銭的な理由な気もするけど。低学年か中学年の頃、友達の誰かの親の引率でゴジラを観に行ったくらいしか記憶がない。

バラエティは、マジカル頭脳パワー!!、ぐるナイのゴチになります!、めちゃイケ、バリキン7 賢者の戦略、ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー これができたら100万円!!、平成教育委員会、TVチャンピオンあたりが記憶にある。

マジカル頭脳パワー!!は好きすぎて、小学校低学年の誕生日にボードゲームを買ってもらった。

w.atwiki.jp

ドラマは、ほぼ見ていなかった。例外は『ぼくらの勇気 未満都市』くらいで、これは全部見ていた。KinKi Kidsの「愛されるより 愛したい」の8cmCDを買ったくらいにはハマっていた。『銀狼怪奇ファイル』も見ていたか。

8cmCDって時代だよな。

読書

漫画の単行本は買ってもらえなかったが、小説なら親が買ってくれた。

低学年の頃は、童話の『天才えりちゃん 金魚を食べた』が好きだった。著者は竹下龍之介で、6歳が同年代向けの童話を書いて福島正実記念SF童話賞を受賞しているのは、冷静に考えるとすごい。

その後は推理小説で、内田康夫の浅見光彦シリーズを何冊か読んだ。赤川次郎の三毛猫ホームズシリーズも、よく買ってもらって読んでいた。

文庫を読み終えると、新しい文庫を買ってもらえる運用になっていた。

お菓子と駄菓子屋

お小遣いは定額ではなく、必要に応じてもらっていた。

その分、お菓子はダイエーでの親の買い物のたびに買ってもらえた。

当時からきのこの山派。今もだが。

ミルキーウェイもよく買ってもらっていた。あれはマジで美味しかった。当時は70円くらいだった気がする。

駄菓子屋は、家の近くにも小学校の近くにも、結構な数があった。10円から買えて、小学生にはいい時代だったな。伸びるグミみたいなのを、よく買っていた気がする。

ドラゴンボールのシールかカードがついてくるお菓子もよく食べていたのだが、検索しても見つからない。

そんな思い出深い駄菓子屋は、今はほぼ全ての店舗が別の何かに変わっている。これも時代よ〜。

家族と祖父母の家

妹は4歳年下だが、仲は良かった。

家や車の中で、よく兄妹でじゃれあっていた。親は「こいつら本当に仲がいいな…」と思っていたはずだ(推測)。

母方の祖父母は隣の市に住んでいて、土日によく泊まりに行っていた。月1くらい。土曜に親に送ってもらって泊まって、日曜に親が迎えに来るスケジュールだった。

従姉妹たちもタイミングを合わせて泊まりに来ることが多かった。5歳下と7歳下で、妹を入れても僕が一番年上だった。

後日談として、従姉妹たちが高校生の頃は僕が家庭教師として勉強を教えていて、二人とも無事に志望校の大学に受かった。めでたいですねo(^-^)o

祖父母と一緒に買い物に行ったり、近くの公園で遊んだりした。N64が来る前(小学1〜3年)は、基本的に公園で遊んでいたかもしれない。

N64が来てからは、家から持っていって、従姉妹と一緒にスマブラなどをプレイしていた。

土曜の夜は、夕食を食べながら『幽☆遊☆白書』と『セーラームーン』を見て、その後に確か『平成教育委員会』を見ていた。今思い返すと、最高にいい時間だった。よくすき焼きの鍋を作ってくれて、皆で箸をつついていた。

父方の祖父母は、実家の近所に住んでいて、歩いて行ける距離だった。買い物についていっては、ゲームや本も買ってもらっていた。

双方の親戚が近所にあったので、帰省イベントは特になかった。

家族ではオリックスの観戦にも行っていた。当時はオリックスブルーウェーブで、グリーンスタジアム神戸(神戸総合運動公園)に応援に行っていた。よくオリックスの選手の下敷きを買ってもらって小学校で使っていた。野田、長谷川、平井など投手ばっかりだった。

ちなみにオリックスはイチローが台頭する前は弱くて、イチローが出てきて戦力がそろった95年・96年にリーグ連覇、96年には日本一を果たした。この時代にオリックスを応援できたことは良かったな。

夏休み

夏休みは、朝6時か7時くらいに、近くの公民館に地区の小学生皆で集まってラジオ体操をしていた。音楽は、ラジオで流していた気がする。保護者が持ち回りの当番で見守ってくれていたんだっけな。

宿題は、休み中に終わらせることができない小学生だった。毎回、新学期が始まって数日経ってからなんとか全てを終わらせていた気がする。

ありがちだけど、読書感想文やポスターは最後まで残しがちだった。もちろん先生には毎回怒られるのだが、反省はしない小学生だったのである。

ポジティブに考えると、終わらせてはいたのでやり切る力はあるか(?)。

水泳

生涯で唯一の習い事が水泳だ。幼稚園の年長から始めて、小学4年まで続けた。

水泳教室は、クロール、背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライで25mを泳げるようになり、そのあとはターンありの50mの級に進むというコースだった。

僕は、50mの級に進んだあたりでやめた。バタフライまでやったしもういいかな、と親に相談した記憶がある。一応4泳法の級は合格していたので、すんなりOKだった。

今思うと、水泳を習っていたのは、とても良かった気がする。体力がつくし、風邪も引きにくくなるし、いいことしかない。水泳は親が勧めてくれた気がするので、親に感謝である。

ただ、この身体面のメリットを考えると、水泳の習い事はやめなかった方がよかったかもしれない。いつまで続けるんだという話はあるが。

水泳をやめた後に、次に書く入院があったので、つい結びつけて考えてしまう。

入院

水泳をやめたのと同じ小学4年で、1年ほど入院した。

確か10月で、林間学校のすぐ後のことだった。

きっかけは、確か運動会の練習中に、いきなり意識を失って倒れたことだった。その時は一過性のものとしてそのまま放置していたが、しばらくして微熱が引かない状態が2週間くらい続いた。

地元の病院で診てもらったら、即日のいきなり入院となった。そして、その日のうちに別の病院へ搬送されて、人生で初めて救急車に乗った。

入院中は親が毎日見舞いに来てくれた。実家は播磨で、入院していたのは阪神地域の大学病院なので、結構距離がある。今思うと、親の愛情をかなり感じる出来事であった。

骨髄移植

なんやかんやがあり、骨髄移植をすることとなった。まずはドナー探しからだ。

これは本当にたまたまで、確率的には奇跡的らしいが、妹の骨髄と僕の骨髄の相性が良かった。また、遺伝的に近い方が、移植後に拒絶反応が出づらいという。よし、それじゃあ、妹の骨髄で。妹に感謝案件だ。

僕は生まれはO型だが、骨髄移植したことで血液型はB型になった。

移植の前後は、いわゆるクリーンルームという無菌状態の部屋に隔離されてしばらく過ごした。その期間は絶食で、点滴で栄養を受けて、ただ抗生物質系の薬だけを飲む。薬があまりにまずくて小学生には本当に地獄の期間だった。

院内学級

結構大きな病院だったので、院内学級があった。

入院中の小学生が集まって勉強する仕組みで、先生が1人いて時間割は普通の小学校と同じ、朝から夕方まで勉強をする。もちろん体育などはなくて、国語と算数しかやっていなかった気もする。

制度上は、病院の近くにある小学校に転校した扱いで、そこの児童ということになっていた気がする。

全員で6人くらいで、同級生は自分を含めて3人だった。

そのうちの1人は、偶然にも自分の中学校と同じ学区の小学校の子だった。小学校は別々でも、中学校では同級生になっているはずだった。

けれども退院後、中学校で再会することはなかった。もう名前も苗字も覚えていない。

頑張れば見つけられたはずだが、中学校は8クラスあって、3年間同じクラスにならなかった。たぶんいたんだろうけども、結局再会できずという感じだ。

病棟のゲーム

小児科病棟に入院していたわけだが、ゲーム少年だったため、病棟でもずっとゲームをしていた。病棟なので、遊ぶのはテレビゲームではなく基本的にゲームボーイだ。消灯が21時で、大体24時くらいに寝るので、その3時間ぐらいの暇な時間もゲームに充てていた。

小児科の男子の大部屋は8人部屋で、全ベッドが埋まっていた。その中で年が近かった、当時中学1年の子と、同い年の小学4年の子と仲良くなった。

3人でずっと、『キング・オブ・ファイターズ'95』で格ゲーをしたり、ポケモンでLV100のミュウツー6匹バトルをしたりしていた。

対戦以外では、一人でゲームボーイの『風来のシレンGB 月影村の怪物』をやっていた。いわゆる「もっと不思議のダンジョン」の「月影村出口」をずっとチャレンジしていたが、結局クリアできずに終わってしまった。

病棟が消灯するまでは、皆でトランプやUNO、人生ゲームみたいなボードゲームでよく遊んでいた。大部屋は男子と女子で分かれていたが、この時は男女混ざって仲良くやっていた。トランプはずっと大富豪だったかな。

退院後

そんなこんながあり無事に退院できたわけだが、元の小学校に戻った時は体力の低下がすごかった。

体が思ったように動かない。入院前の感覚で体を動かす(足を蹴るとか手を動かすとか)と、頭の中のイメージに体が実際についていかない。1テンポ遅れている感じだった。

徒歩20分の通学路も、最初の数ヶ月は親に車で送り迎えしてもらっていた。

移植後は食物アレルギーがひどくて、給食が食べられなかった。一人だけ、親が作ってくれたアレルギー食材を一切含まない弁当を持参して食べていた。

移植直後は、食べられないものがあまりにも多すぎた。生もの系は全部ダメで、刺身はもちろんダメ。卵は生に限らず、卵自体がダメだった。給食の所で牛乳は嫌いではなかったと書いたが、その牛乳も含めて乳製品は全部ダメで、チーズやヨーグルトも食べられなかった。あとは蕎麦もNG。

なので外食もできず、親がこの辺りを考えて作ってくれた料理を食べる日々だった。弁当も含めて、ここも親に感謝案件です。

退院後もしばらくは外来に通院していた。小学5・6年の時は週1回、月曜日に親に送ってもらって通院し、採血で異常がないかを確認していた。中学1年の頃は、月1くらいだったかな。

普段は採血で調べるのだが、2ヶ月に1回くらいは骨髄を採って、問題がないかを検査していた。

この骨髄を採る検査はマルク(骨髄穿刺)と呼ばれていて、これがあまりにも痛い。麻酔は使うのだが、麻酔をしても痛い。マジで小学生なら全員泣くレベルで、僕も普通に泣いていた。

kango.mynavi.jp

体力を元に戻すのには、だいぶ苦労した。これも中学校の話なので後日談になるが、中学1年まではとにかく体力も筋力もなく、体育の成績は10段階で2とか、そのレベルだった。いや、もともと体育は得意ではなかったが。

転機は、中学で入ったソフトテニス部だ。顧問が結構厳しい人で、基礎練やランニングでかなり鍛えられたので、結果的に中学2〜3年くらいで体力と筋力が戻ってよかった。

入院前までは、結構陽キャ的なポジションだった気がする(自称)。それが入院を経て陰キャになった。まあ、長期入院なんてしたら性格も落ち込むわな。クラス内のカーストも、入院前よりは下がった気がする。

ただ、たらればの話にはなるが、入院していなかったらオタクになっていなかった気もする。もっと言うと、コンピュータやインターネットに興味を持たず、大学で情報工学を専攻していなかったかもしれない。いやー、これはたられば。

まあ、今の自分が今の自分だと思うので、何とも言えないけど。

退院後の生活も含めて、全般的に大変でしたねという感じだ。僕も大変だったけど、親の方がもっと大変だったと思う。これは親に感謝案件、それも一番大きな感謝案件だ。

恋

心が動いた出来事は、不思議と今でも結構覚えている。

小学2年の頃に、隣の席の女の子が夢に出てきて、結構ドキドキした。

翌日、普通に話してみようと思って、本人に夢に出てきたことを話した。話す時もドキドキだったが、返ってきたのは「へー」みたいな普通の反応だった。まあ、そんなもんかと思った記憶がある。

同じ小学2年の頃、宿題の本読みはしてきたのに、本読みカードに親のサインをもらうのを忘れて、朝の時間に「どうしよう……」となっていたことがある。

すると、給食の早食いでライバルだったあの女子が、字が上手くて親のサインを偽装してくれた。それをやってくれたことに、ドキッとした。

……と、どちらもドキッとはしたけど、低学年ってまだ恋心は芽生えていない気もする。たぶん、ただ単にドキッとしただけだ。

また、小学3年の時に靴箱にラブレターが入っていたこともある。入院まではリア充寄りだったのだ。

そのラブレターには、「どこそこに来てください」みたいなことが書いてあった。ただ、指定された日時が、当時習っていた水泳と被っていた。なので、普通に「水泳の習い事が被っているから行けないな」と思ってスルーして終わった。

その後は特に追加のイベントも発生しなかったので、誰が書いたのかも不明なまま現在に至る。

そして、ガチの恋は入院中にやってきた。2歳年下の元気っ娘を、よく分からないけどとても好きになった。今思ってもマジで恋だったと思うし、当時も小学生ながら「これは恋だな」と自覚していた。

しかし、特に告白もしなかった。院内学級でも一緒だったけど、普通に仲良く遊んだだけで、何もアクションを起こさないまま終わった。そういうこともあるよな。いや、そういうことしかないか(?)

小学5年で元の小学校に戻ってからは、同級生のメガネの子を好きになった。穏やかな性格と、その雰囲気が好きだった。入院前から好きだった気もするけど。もちろん、この子にも特にアクションは起こしていない。

しかも、本当に偶然だろうけど、入院中に好きだった子とこの子は同じ苗字だった。不思議な縁を感じた。

元気っ娘とメガネ。おそらくこの2人が、僕が好きな二次元キャラの属性に、結構影響を与えている気がする。2人が好みを作ったのか?それとも、元々の好みがあったから2人を好きになったのか?卵が先か鶏が先か、それは今も分からない(?)

縁は大事にしよう

そういえばこんな感じだったなあと、小学生の頃を深く思い出しながらこの記事を書いた。

しかし、書いていて気づいたのだが、なんと2026年現在、小学校の同級生で連絡を取っている人が1人もいない!!!

1学年70人もいたのに、である。

まあ当時はスマホどころかガラケーも持っていなかったし、SNSもなかったしで、やむなしか?悲しいですね。

今日の学び: 縁は大事にしよう!

関連

AIとフルマラソンを完走する(予定)

どうも、フルマラソン参加経験のないしふみんです。

そんな僕が、この秋にフルマラソンに出て完走を目指す(予定)。

そして、完走までの絵をAIに描かせて、コーチングもAIに任せて、トレーニングもAIの言う通りに積む。その先にフルマラソン初参加初完走が待っているのか?それを自分の体で確かめる。

この記事はそういった記事となる。

いつもの如く、こういう記事は結果が出る前に書いておくのが大事だと思っているので、大会前の今書いているわけである。

100kmウォークの次はフルマラソン

きっかけは、ちょうど去年の今頃の雑談だった。

会社のサイドプロジェクトの打ち上げで、同僚3人で話していた時のことだ。僕が100kmウォークに出ると言ったら、1人はフルマラソンに初めて出ようとしていて、もう1人は富士山に初めて登った話をしてくれた。

皆なんだかんだで""チャレンジ""をしているんだな〜と思った。

僕が参加した100kmウォークは、2025年の10月の回だ。

www.asahi.com

制限時間26時間で100kmを歩く大会で、ちょうどいいなと思って参加した。いや、100kmという距離がちょうどいいということは全くない。それはともかくとして、歩くのは好きだったので、ストレッチな目標としてこれくらいの距離ならギリギリ歩けるかと思ったのだ。そしてギリギリ完歩できた。

ちなみに、100km歩くという行為は全く健康的ではない。

その後、爪は無事に生えてきて完全に再生した。ありがとう人体の回復力。

正直、完歩した直後は、次のことなんて何も考えていなかった。100kmはそれくらいしんどかった。爪も剥がれたしね。

ところが、1ヶ月ほど経った11月、喉元過ぎれば熱さを忘れるというやつで、""その次""を考え始めた。

その時、2つの話が結びついた。1つは、同僚がフルマラソンに参加して完走したこと。もう1つは、ちばアクアラインマラソンの存在を知ったこと。2年に1回の大会で、ちょうど翌年の2026年の秋に開催される。

こうして、次の""チャレンジ""はフルマラソンに決まった。

走る大会は、そのちばアクアラインマラソン2026だ。開催は11月8日。

chiba-aqualine-marathon.com

目標は完走。そして、サブ5である。

サブ5の根拠は特にない。制限時間がそもそも6時間ちょっとなので、そこから1時間くらいなら縮める余地はありそうか、となんとなく決めた。

走り始めは1kmで息が切れた

フルマラソン完走を決意したものの、それはそれとして走るのはしんどい。ここ数年(十数年?)有酸素運動を全くやっていなかったなら尚更だ。

走った経験が全くないわけではない。大学生の時にハーフマラソンに出ようとして、ランニングを日課にしていた時期がある。最終的には20kmくらいは走れるようになった。結局ハーフマラソンには出なかったんだけど。

しかし、社会人になってからは、有酸素系の運動はほぼやっていない。「自宅筋トレを始めた」という記事でも、ジョギングは続かなかったと書いている。

shifumin.hatenadiary.com

そんな状態から走り始めたのが、2025年11月だ。

最初のログはこれである。

  • 2025-11-10
  • 1.01km
  • 0:07:06
  • 7:01/km

今でも覚えているが、7分走っただけで息が切れていた。たったの7分間でだ。

大学生の頃と比べて、単純計算で最大心拍数が20程度下がった影響もありそうだ。これが歳を取るということ。

そこで、走りながら疑問が出るたびにAIに聞いていた。それでわかったのが、マラソンは心拍数を管理するゲームだということだ。

走る時のペースも、速さではなく心拍数で調整する。

つまり、マラソンのトレーニングとは、同じ心拍数でより速く走れるようにしていくゲームなのである。

AIにフルマラソン完走までをコーチングしてもらう

走り始めてからしばらくは、上に書いたように疑問をAIに聞くだけだった。変わったのは、この7月にClaude CodeでFable 5が使えるようになってからだ。

フルマラソン完走までのロードマップを全てAIに任せて、AIの言う通りに日々のトレーニングを積んだら完走できるのか、という問いに興味が湧いた。そして、自分で試してみたくなった。

Fableの言う通りにトレーニングすれば、フルマラソン初参加でも完走できる。それを俺が証明する。

ひいては、任意のsomethingはAIの言う通りにやれば成功することになりそうだ。なんとなくこの世界はそうなっていく気がするんだよなあ。

AIを有効活用するために、僕が大事だと考えていることは2つある。何を任せるかと、何を渡すかだ。

任せるものは、全部。完走までのロードマップも、日々のトレーニングも。

そのために7月に作ったのが、/coach-daily-run というskillだ。記録や方針のノートを参照しながら、完走までのロードマップを立てつつ、日々のトレーニングをコーチしてくれる。

人間は全てをAIに渡し、全てをAIの言うとおりに実行すればいい

coach-daily-runのskillの中身(やや修正版) (クリックで開く)

gist.github.com

トレーニングの方針は、skillに全部を詰め込まずに、Obsidianの方針ノートに分けている。skillからはそのノートを参照させる形だ。方針ノートを更新するのはAIだけなのだが、人間も読むので、ノートの方が都合がいい。

そのskillが組んだ1週間のメニューは、こんな感じだ。

  • 月〜木: 最大心拍数の75%程度のジョグを40分程度
  • 金: 休み
  • 土: ロング走
  • 日: 休み

ちなみに、コーチは最初はFable 5だったが、後で書くように今はOpus 5.5がやっている。Opus 5.5、コスパも良すぎるし最強!

任せて一番変わったのは、平日のジョグの走り方だ。以前の僕は、息を切らすくらい追い込んだ方が心肺を鍛えられると思って、キロ6分を目指していた。

ところが、Fableに教わったのは逆だった。普段のトレーニングで必要以上に心拍数を上げても、積み上げ効果はほとんどないらしい。

正直、これでトレーニングになっているのか?という気持ちがないこともなかった。が、「ま…まあOpus 5.5さんほどの実力者がそう言うなら……」と思って完全に従った。

すると、同じ心拍数で走れるペースが徐々に伸びてきた。心拍数のゲームの攻略は、どうやらちゃんと進んでいるらしい。トレーニングはメリハリをつけた方がいいと、今は確信している。

そのメリハリの、強い側が土曜のロング走だ。最大心拍数の85%に抑える週と、90%の週を交互にしている。長く走れる脚とレースペースで押せる脚は、1回のロング走では鍛えられないから、らしい。

Opusさん曰く、ランニングの怪我の定番パターンは「前より長く」と「前より速く」を同じ日にやることらしい。怪我は本当に怖い。

85%と90%は上限でもあり、超えたらペースを落とす。白状すると、上限を超えてもそのまま走った日も、あることにはあった。今は、AIに完全に従う方に振り切った方が面白そうだと思って、おとなしく速度を落としている。

10月には、ピーク練習が2本控えている。

  • 10/10: 力試しとして、ハーフ(21.1km)をレースペースで通して走る
  • 10/17: 育成として、最長の30kmを走る。目標を見直すチェックポイントでもある
  • その後: レースに向けて、3週間かけて練習量を落としていく

サブ5達成は、今の状態だけを見ると正直厳しい気はしている。鍵は、気温が下がって心拍数が落ちてくれることと、最後のテーパリングで本番のコンディションをどこまで高められるかだろう。

AIにはコンテキストとして全てを渡せ

任せるものは全部だと書いたが、もう1つの何を渡すかはどうだろう?そう、これも全部だ。

必要な情報を全てコンテキストとして渡せば、AIが取捨選択して、自分に合ったコーチングをしてくれる。

その土台になるのが、日々のトレーニングのログである。

ログは、コーチを頼むより前の3月から取っている。最初は記録用のskillを別に作っていたが、今は /coach-daily-run に統合した。Apple Watchで計測したワークアウトを、iPhoneのアプリでスクショして渡すと、中身を抽出して記録してくれる。

たとえば、9月19日のロング走のログはこんな感じだ。これが今までの最長記録である。

  • 2026-09-19
  • Indoor Run
  • 27.11km
  • 3:50:01
  • 8:29/km
  • 7.07km/h
  • 158spm
  • avg 149bpm
  • max 159bpm
  • 回復心拍 153→142bpm (2min)

まだ途中ではあるものの、7分で息が切れていた人間が、ここまで来た。

そして、自分の情報をできるだけ渡す。渡したのはこのあたりだ。

  • 年齢、身長、体重、体脂肪率などの生体情報
  • トレーニング履歴
  • フルマラソンは初めてで、今までまともに有酸素運動をしてこなかったこと
  • 参加する大会とその目標
  • トレーニングに使える時間
  • 好み

使える時間は、平日は夜に40分くらいまで。土曜はたくさん使ってOKで、日曜は休息日にしたい。金曜の夜は私用で走れない。

好みは、秋は雨が多いので普段はジムのトレッドミルで走りたい、外を走るのは気温が一定以下で雨が降っていない日だけ、といった具合だ。

ありのままを伝えていると、こちらが知らなかったことまで教えてくれる。

例えば、練習中の水分補給が足りていないと指摘された。水分補給のペースなんてよくわかっていなかったので、助かった。

AI曰く、水分補給はとても重要だそうだ。体内の水分が足りないと血液が減って、送られる酸素の量も減る。それを補うために心臓がたくさん鼓動して、心拍数が上がってしまう。

なので今は、AIの言う通り1時間に400mlくらいは飲みながらロング走をしている。まあ、本番で同じペースで飲み続けられるかはわからないので、調整は必要かもしれない。

気温(室温)と心拍数の関係も、AIに教えてもらった。1度上がるごとに、心拍数は約1bpm上がるらしい。

逆に考えると、夏から秋にかけて気温が下がるにつれて、同じペースで走っても心拍数が下がっていくバフがかかるということだ。やったぜ。

走るのはしんどいけど

走るのはしんどい。これは今も変わらない。

ただ、走った日は寝つきが良くなる(ロング走の日は除く)し、頭もすっきりする。走り始めて、結局、運動は有酸素が最強なんだよな、ということを身をもって理解するようになった。

100km歩くのは全く健康ではなかったし、おそらくフルマラソンも健康には悪い。しかし、走ること自体は健康にいい。マラソン大会が終わった後も""健康""のために走っていこうとは思っている。

ところで、この記事のタイトルは元々「Fableとフルマラソンを完走する(予定)」だった。投稿を後ろに回しているうちにOpus 5.5が出て、コーチ?も交代したので「AIと」に変えた。

タイトルの(予定)を外せるように走る。全部任せて、全部渡して、あとは言われた通りにやっていく。

/

……と、ここまで書いたが、9月27日時点では、大会は中止の機運が高まっているように感じる。先日の大雨で、内房線の一部区間が運休している影響だ。

2026.9.24

大会情報
台風25号による鉄道被害を受けて実行委員会事務局にて今後の対応を検討しています。
詳細につきましては決まり次第大会公式HPにてお知らせします。

chiba-aqualine-marathon.com

もし中止になったら、他のマラソン大会を探すつもりだ。まだ中止が決まったわけではないので、トレーニングは続けながら続報を待つ。人事を尽くして天命を待つぞo(^-^)o

関連

テスラが欲しい(2026年秋)

ああ……それにしてもテスラが欲しいっ……!!

具体的には、テスラのモデル3 AWDロングレンジが欲しい。

www.tesla.com

実際にテスラを買うことになるのか、結局買わないのかはまだわからない。

ただ、買ったか買わなかったかという結果だけなら、後からでもわかる。忘れてしまうのは、その時に何に惹かれて何を迷っていたのかという過程の方だ。

残しておく価値があるのは結論ではなく、思考の過程そのものなのである。

というわけで、2026年秋時点での「テスラが欲しい」にまつわる考えを書きたい。

あるいは、テスラが欲しいという気持ちを供養するためにこの記事を書いているのかもしれない。

親の車を借りていたあの頃

前提として、僕は人生で今まで一度も車というものを所有したことがない。

ただ、車に乗ってこなかったわけではない。実家にいたあの頃は親の軽を借りて、週末はわりと車に乗っていた。

毎週末とにかく兵庫県内をドライブして、友人とつらいつらい言いながら夜景を撮っていた。新卒で働き始めた頃の話である。何がそんなにつらかったのかは、当時書いた記事に残っている。

shifumin.hatenadiary.com

映画を観た後に主題歌を流しながら走ったり、真夜中に知らない山の中のICで降りて、Googleマップを見ずに標識だけを頼りに家まで帰ったりしていた。経験値が貯まった。

金曜の夜に、軽いノリで隣の岡山までラーメンを食べに往復200km走ったこともある。

思い返すと、どれも行き先に用があったわけではない。夜景もラーメンも、たいていは友人を誘って車を出すための口実だった。あの頃の目的は、その時間を誰かと一緒に過ごすことだったのだと思う。

今も必要に応じて車は借りている。そういや、今年のGWに帰省した時も、雨の夜のドライブで学生の頃を思い出したという日記を書いていた。あの頃の感覚は、どうやら体が覚えているらしい。

欲しくなった経緯

以前からテスラには興味があった。

と言っても、知っていたのはほとんどの人と変わらず、テスラという会社がEVを作っているということくらいだ。

転機になったのは、メルルーサ丸岡さんの動画を見たことだ。

www.youtube.com

中でも刺さったのが、テスラのモデル3を作業環境にしてみるというこの動画である。

www.youtube.com

これを見て、テスラの中にこもって作業するの、いいなと思ってしまったのだ。
(惹かれた入り口は運転性能じゃないんかい!)

そして先月、近くのショッピングモールにテスラの期間限定のポップアップストアが出ていて、たまたまタイミングが合ったので試乗してきた。

もっとも、短時間かつ短距離だったので、正直あまり感覚は掴めなかった。わかったのは、加速がすごい、カメラがいい、レスポンスがいい、ディスプレイがでかい、くらいである。

一番テンションが上がったのは、でかいディスプレイだった。物理のスイッチがほとんどなくて、車の設定をあの画面でいじる。触っているうちに、多くの人が話すようにこれは車というよりガジェットだなと思った。

余談だが、僕が初めて買ったiPhoneは3GSだ。まあまあ早い方のはずである。あの時は、携帯電話でWebブラウジングできるのはいいな、という軽い気持ちで買った。

テスラもそろそろ""頃合い""か?という気持ちが出てきている(?)

なぜ欲しいのか

作業部屋になる

一番の理由は、先に書いたとおり作業部屋になりそうだからだ。

車は隔離された個室である。作業部屋として魅力的なのは、まずこの点だ。これ自体はテスラに限らない。

ただ、EVだと話が一段変わる。停めた状態でも、エンジンをかけっぱなしにせずにエアコンが使える。パソコンの電源も車から取れる。アイドリングを気にしながら作業する必要がない。つまり、電源とエアコン付きの個室で、行きたいところに移動できる。

テスラなら、車内を作業環境にするためのサードパーティ製品も多く出ている。

そして、車内は音声入力と相性がいいことに気づいた。

僕は普段から音声入力をよく使っている。特にAIへのプロンプトは、キーボードを叩くより喋った方が圧倒的に楽だ。高い買い物(2025年)にも書いたが、AIは誤字脱字があってもよしなに理解してくれるので、音声入力とは相性がいい。

ただ、カフェなどで音声入力を使うのは、周りを考えると憚られる。個室ならその心配がない。これはかなり魅力的だ。

今の土日は、電車で都内まで出て、カフェやシェアラウンジで作業をしていることが多い。

これは今住んでいるところの事情なのだが、いちいち電車で都内まで出るのが面倒なのだ。余談だが、CCCは早く千葉駅にシェアラウンジを作ってくれ。

もしテスラを所有していたら、これが変わる気がする。

現実的に車を気軽に停められるのは、ショッピングモールや大型店舗の駐車場だろう。

そういうところに適当に行って、エアコンをつけながらパソコンをカタカタする。飽きたら移動して、別の場所でまたカタカタする。気分転換に店に入ってもいい。

600万円出してまでパソコンをカタカタしたいのか、と思うかもしれない。そうだ、そうまでしてパソコンをカタカタしたいのである。

テスラで帰省したい

やってみたいことの1つに、兵庫県の実家までテスラで帰省するというのがある。

テスラにはオートパイロットがある。まあ、いい車を買えば大抵オートクルーズ機能はついているんだろうが、それでも自分で全部運転するよりは、高速道路を走る負担がだいぶ軽くなるはずだ。

帰省は毎年GWなので、言うても年に1回の話ではあるが。

これまではずっと新幹線で帰省していた。新幹線と電車代で往復35,000円くらい。時間は家から片道door to doorで5時間30分くらいかな。

実は、まだテスラを買ってもいないのに、もし買ったらどうなるかを想像しているうちに、帰省ルートをAIに調べてもらっていた。

千葉から兵庫の実家まで、片道でだいたい600km。途中で新東名のスーパーチャージャーに1回寄れば足りるらしい。朝に出れば、夕方前には着く見込みだ。

まだ買ってもいない車の充電計画を立てている。

新幹線より2時間くらい長くかかる計算である。

費用も調べてみた。高速代は往復で約30,000円。電気代を足すと、新幹線の35,000円とだいたいトントンになりそうだ。

それでもやってみたいのは、テスラで600km強を走ったらどの程度疲れるのか、どれくらいしんどいのかを知りたいからだ。テスラによる長距離運転を、自分の体で試してみたいのである。

あとは、帰省中に自分の車があるのは普通に都合がよさそうだ。実家の車を借りずに済むし、思いついた時にどこかへ出かけられる。

帰省に限らず、高速道路の走行がだいぶ楽になるなら、長距離の遠出をする機会も結構増えると思う。また金曜の夜に、ラーメンを食べに往復200km走るのかもしれない。

ガジェットとして面白い

これもよく言われている話だが、テスラの興味深いところは、購入後もソフトウェアアップデートで進化していくところだ。

もちろんハードウェアは変わらない。それでも、iPhoneのように買った後もアップデートが来る。やはり、テスラはガジェットなのだ(600万円の!!!)

そのアップデートの本命がFSD(完全自動運転)だ。自動運転を早く体験してみたい。

帰省の600km強を、自動運転に任せてみたい。未来を体験したい。

欲しいのはテスラのある生活

改めて整理すると、なんかテスラが欲しい理由がかなり偏っているな?

作業部屋、帰省、ガジェット。運転そのものの話がほとんど出てこない。偏ってはいるが、ウエイトが大きいのはこの3つで間違いない。

つまり、僕が欲しいのはテスラそのものというより、テスラがある生活なのだ。所有した後の生活を、もうイメージして期待してしまっている。

適当な駐車場でパソコンをカタカタし、飽きたら移動し、GWには実家まで走る。僕が買おうとしているのは車ではなく、土日の過ごし方なのだと思う。その600万円で土日を買い換えようとしているわけだ。土日というのは、こんなに高いものだったのか。

とはいえ、ここまで全部、僕の想像である。車内での作業が実際に快適かどうかも、長距離を走って本当に疲れないのかも、やってみないとわからない。

それでも踏み切れない

ここまでが欲しい理由だ。ここからは、それでも注文ボタンを押せていない理由を書く。

大きく3つある。

  1. お金の話
  2. 駐車場という関門
  3. 乗るのは週末だけ

順に書いていく。

お金の話

本体価格

高い!!!

モデル3 AWDロングレンジで自分の欲しいカスタマイズをすると、6,445,000円。補助金を計算すると、実質520万円くらいだろうか。

明らかに人生で一番高い買い物である(家はまだ買ったことがないので)

そのうえ、テスラのリセールはかなり弱いらしい。テスラに限らずEVは全体的に弱いらしいけど、充電池があるものなので、これはやむなしか。

売る時のことはまだ考えていない。リセールは最初からないものとして考えていて、いくらか戻ってくればラッキーくらいに捉えている。

一括かローンか

以下は、ローンを限界まで伸ばした脅威の120回払い(10年)を採用した場合の試算である。

一昔前の僕は、男は黙って現金一括払い派だった。しかし今は考えが変わっている。キャッシュを即時で600万円超を持っていかれるくらいなら、ローンを組んで浮いた分を投資しておいた方が期待値が高いと思っているのだ。そう、世はまさに大インフレ時代なのである。

浮いた分はオルカンにでも突っ込みましょう。僕はS&P500派だけどね。

shifumin.hatenadiary.com

余談だが、2026年秋時点でテスラの提携ローンの金利は2.9%で、もうすぐ3.4%に変わるという話も聞いた。利上げつらい。

そもそも、10年も乗っていたら、その前に買い替えているんじゃないかという気もする。限界まで伸ばしたローンはどうなってしまうんや〜〜〜

維持費は月10万円くらい

テスラじゃなくても、車は維持費が高い。

車を所有したことがないので雑計算だが、全部込みで月10万円くらいはかかりそうな雑感がある。保険や車検、税金のように年単位でまとめて飛んでくるものも月に平して、日常の諸々もすべて加味すると、まあこんなもんかという感じだ。

内訳はこんな感じだ。

  • 本体のローン: 月6万円くらい。さっきの通り、10年に伸ばして割った場合の数字
  • 駐車場代: 月1万円くらい。都内に比べれば全然低いが、それでもまあまあかかる
  • その他: 保険と車検、税金、それにコーティングや洗車といった諸々
  • 補助金: 月割りで1万円くらいは引ける計算

電気代は別換算。

ちなみに、テスラは車両保険が高いらしい。保険のことは全く知らなかったので、完全に盲点だった。

足して引いて、やはり月10万円。乗っても乗らなくても、毎月これが出ていく。高い!!!(2回目)

まあ、これが全て。結局人生金よ〜

駐車場という関門

住んでいるマンション外の駐車場を契約しないといけない。

マンションの機械式駐車場のサイズに合わなかったのだ。全幅は問題なかったのだが、タイヤの外幅が少しオーバーしていた。悔しい!

近隣の駐車場に空きがあるかも、まだ確認していない。ネットで調べてわかる範囲だと、目星をつけているところは「問い合わせてください」という状態になっている。

現地を見たぱっと見では空いている気がする。それでも、サイズも含めて問い合わせが必要そうだ。電話すればいいだけの話なのだが、実際に空きを確認してしまうと、ガチで購入するためのスイッチが入ってしまう気がしている。そこまで行ってしまっていいのかを逡巡していて、一旦保留にしている。とりあえず電話をするところからか。

乗るのは週末だけ

そして、乗るのは頑張っても週末だけだ。金曜の夜、土曜、日曜と祝日。Max頑張ってこれだけ。

仕事がフルリモートなので、平日は家に引きこもっている。車に乗る機会も必要もない。

つまり、本当に乗らない平日の分まで駐車場代を払うことになる。割に合わない。それを押してまで買うのか、という話ではある。

しかも、僕が一番パソコンをカタカタしているのは平日だ。それも家の中である。作業部屋が欲しくてテスラを買おうとしているのに、その作業部屋を使えるのは週末だけなのだ。

1日借りて確かめるはずだった

試乗だけでは何もわからなかったので、このシルバーウィークに、カーシェアのBOXIV SHAREでテスラを1日借りる予定だった。

boxiv.co.jp

1日(12時間)で、保険込みで15,000円くらい。とりあえず初回だし、保険は一番手厚いものにしたらこの額になった。

確かめたかったのは、このあたりだ。

  • 充電回り、特にスーパーチャージャーの使い勝手
  • 大きさ。テスラは大きいが、駐車時の取り回しはどんな感じか
  • 車内の居住性・静粛性。実際にパソコンを広げて作業できるか
  • 車としての性能

ところが、台風で泣く泣くキャンセルした。さすがに台風の中を走るのは危険なので、やむなしである。

楽しみにしていた分、そこそこ残念ではあった。確かめたかったことは、4つとも確かめられないままだ。この記事がここまで想像で書かれているのは、そういうわけである。

近いうちに再チャレンジしたい。

カーシェアでよくない?

上でカーシェアの話をしたが、冷静に考えると、所有しなくてもカーシェアで借りればいいんだよな。

借りるのは1日15,000円くらいだった。毎週末に1日借りても月6万円で、所有の月10万円よりまだ安い。所有の費用の高さよ。

テスラに乗りたくなるたびにカーシェアで借りて、その欲求を都度解消する。経済合理性だけで考えれば、所有せずに借りるのが正解だろう。

ただ、話はそう単純でもない気がする。

カーシェアは全額が変動費なので、利用を抑制する方向にインセンティブが働く。乗るたびにお金がかかるので、乗りたくてもつい控えてしまう。

一方で所有だと、固定費がすでに乗っかっている。乗らないと損なので、利用する方向にインセンティブが働く。せっかく所有したからにはどんどん乗っていかないとね、という気持ちにもなるし、今より運転する機会も増えそうだ。

しかも、この固定費はローンを払い終えるまで消えない。10年ローンなら、10年ずっと乗っかり続けることになる。月々の負担が重いほど、乗り倒さないと損になる。

つまり、所有すると乗るようになる。金額の比較には出てこないが、所有の効用は、こういう目に見えないところにある。これは車に限らないだろうけど。

結局、所有の価値をどの程度に見積もるかという問いなのだと思う。

そして本心を言うと、今のところ、所有とカーシェアの費用の差は「所有の価値」に比べて大きいと考えている。つまり、割に合わない。

ただ、人生って理屈じゃないだろ?

/

テスラが欲しくなってから街中でテスラがいないかを探すようになった。

すると、意外と見つかるものである。家の近くでも、駐車場に停まっているテスラを何台か見かける。

ここまで来ると、もうテスラという考えが頭から離れない。

こういう時に思い出す映画がある。僕が最も好きな映画の1つ、インセプションだ。そして、その予告編はこれが一番好きである。

www.youtube.com

What is the most resilient parasite? Bacteria? A virus? An intestinal worm? An idea.

最もしぶとい寄生体は、細菌でもウイルスでもなく、アイデアなのである。

そして僕の頭は、すっかり寄生されている。もしかしたら、台風で流れた1日レンタルを借り直す頃には、もう注文しているかもしれない。

まだ買ってもいない車で帰省するルートまで調べている。テスラに乗る生活を想像してしまっている時点で、買うという運命はもう決まっているのかもしれない(?)

この記事は供養のつもりで書き始めたのに、書き終わってみたら全然成仏していない。

関連