しふみんの日記

しふみんの日記です。

最善手以外を潰しておく

関東の郊外に住んでいるのだが、先日都内から家に帰る際に普段とは異なる交通手段を選んでみた。通常であれば電車で帰宅するのだが、その日は高速バスを利用してみたのだ。
電車の方が運賃は安く所要時間も短いため、高速バスを選ぶ理由は特にない。普通に考えれば、電車で帰るのが最善手であり、いつもは電車で帰っている。とはいえ、曖昧な主観だが電車が100点の選択肢だとしたら高速バスは65点くらいの選択肢で、高速バスが完全に無価値な選択肢ではない。

では、なぜあえて高速バスを選んだのか?それは、僕がこの選択を経験しておきたかったからだ。
想像上でこの選択は良くないと判断するのではなく、実際に試した上でこの選択は最善手ではないという結論に至る体験をしておきたかった。
「その選択肢はこういう理由でダメだよ」ではなく、「その選択肢は実際に試したけどこういう理由でダメだったよ」と言えるようになっておきたかったとも言える。

人生では何度も選択の機会に遭遇する。もし、その選択が人生で1回きりならば、迷わず最善手を選ぶだろう。老い先が短いと感じるようになったら、その時は、そしてそれ以降は自然と最善手を選び続けることになるだろう。
しかし、人生がまだ長く、まだまだ同じ選択肢に直面するケースが多い場合は、毎回最善手を選ばなくてもいいのではないかと思う。

帰宅ルートの択がバリエーションに富んでいる人は少ないと思うが、例えば出先でご飯を食べるかを選ぶ際なんかも、毎回好みのレストランや評判の良いレストランを選ばなくても良い、と僕は考える。
時には探索を優先し、仮にその選択が一番いいと思っていなかったとしても、あえて普段選ばないような店を選びたい。その選択で普段得られない新しい何かを得ることができるかもしれないからだ。未知の体験を求める強い気持ちがある。

ラムズフェルド元国務長官がいうところのunknown unknowns は、普段選ばないようなことに眠っていると考える。

ja.wikipedia.org

“”知らないと知っていること(unknown knowns)””は既知なのでいざとなれば狙って当てにいくことはできるが、””知らないと知らないこと(unknown unknowns)””はいつだって自分の外にある。当てに行くには自分の合理を超えた選択をする必要がある。

まあ、結局のところは刺激が欲しいんだわな。

shifumin.hatenadiary.com

例のごとく、似たような記事を以前書いていた。

shifumin.hatenadiary.com

ここまで、理屈をつけて「たまには最善手以外を選ぶ」理由をつらつらと書いてきたが、これは「もしかしたら見逃していたイベントCGを回収できるかもしれないし、普通に考えると選ばないけど今回はこの選択肢も選んでおくか」という古のオタク所作なだけかもわからんね。