しふみんの日記

しふみんの日記です。

人の問題解決をしない

誰しもが他人を変えたいという欲望を持っているが、他人の問題解決をやめろという自戒がある。そのアドバイスは大体の場合求められていない。そもそも人は他人にアドバイスを求めていないんですよ。人が悩みや問題に直面してそのことを他人に話したとしても、それ即ちアドバイスを求めているということではない。そのため、人の持つアドバイスしたいという欲望、自分の経験を共有したいという欲望は意識的に封印する必要がある。
なお、他人からアドバイスを求められるというSSRイベントにエンカウントした場合は適宜やっていけ。

例えば、たばこを吸っている人がいるとする。たばこが健康に悪いことはその人も百も承知だろう。だから、ある人がたばこを吸っているということは、僕はその行動は信念であり、またその人のアイデンティティなのだと考えている。
同様に、太っている人が特に痩せるために行動をしていないのだとしたら、「太っていること」がその人の信念でありアイデンティティなのだと思っている。
そういった人たちに安易に「たばこをやめろ」「ダイエットをしろ」といったアドバイスをするのは、それはもう信念同士の衝突なのである。””クラッシュオブビリーフス””だ。

この2つは分かりやすい例だが、人の状態や行動はそれ自体が信念であり、アイデンティティとなっている。
僕はその人の現在はその人の信念の集合体だと考えている。信念が日々どのように考えどのように行動するかを規定する。そして考えや行動の積み重ねがその人を現在を作り上げている。自分が何者であるかは日々の考えや行動が作り上げているのだから、信念がアイデンティティを形成していると言える。

信念やアイデンティティに結びついている状態や行動を外から変えるは難しい。いや、不可能だ。人はアイデンティティを揺さぶられると自己防衛で反発する。自分自身の根幹を否定されるような脅威なのだからそれはそうだ。だから、アイデンティティを外から変えることは困難で、むしろ逆効果になる可能性すらあるだろう。
だからと言って、信念やアイデンティティが絶対的で不変のものであるというわけではない。本人が変わりたいと望んでいる場合はこの限りではないだろう。逆に言うと、少なくとも本人が問題解決や変わりたいと望んでいるというケースでないと、その問題解決手法やアドバイスは全く響かないと言える。

同様の話として、人にコンテンツを勧めるのも難しいと思っている。いや、もちろんただ勧めるだけなら難しくない。勧めたうえでそのコンテンツに触れてもらうのが難しい。
逆に勧められた立場で考えるとすぐに分かるのだが、ただ「〇〇は面白いよ!」と勧められても、ただの""面白い"”コンテンツはこの世界に既に大量にあるんですよね。人の持つ死ぬまでの可処分所得時間では到底消化できない程度に大量には。
だから、コンテンツの推薦は「なぜその人にオススメなのか」という勧める人に合った適切なレコメンドか、「この人が勧めるなら良さそう」という推薦する側のレピュテーションが大事だと思っている。
この話はまた別で書きたい。

そういうわけで、自分の考えや経験を共有したいと言う欲望、アドバイスしたいという欲望を発散するべく、こうしてブログをおろおろを書いている。自分の考えや価値観を押し付けないようにただここに書く。ただ示すだけ。
ブログの時代がやってきたな(n回目)

自分の信念デッキをはこうですよと示すこのようなブログ記事を書きながらも、それはそれとして適切なフィードバックをくれる人は大事にしたい。フィードバックを送ってくれる人は何かしら思うところがあり、送ってくれているのだから。フィードバックは耳が痛いものが多いから精神は強く持つ必要はある。はい。それは仕方ない。

フィードバックを適切に送ったり受けたりして人生をやっていきましょう。

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