しふみんの日記

しふみんの日記です。

発言は文字通り受け取る

「つべこべ言わずに俺に忖度しろー!」
先日友人がDiscordで叫んでいた。ある程度はわかる。

それはそれとして、先週、夫にホットケーキを出したら「これはプレーンで食べるやつかな」と言われて妻側は瞬時に「何をして欲しいか言って」と反論したというツイートを見かけた。またそのツイートを引用する形で、女性は言外の意図を察することが多いが男性は字面通りのコミュニケーションが取る傾向があるため、夫が「これはプレーンで食べるやつかな?」と聞いた場合の意図は「これはプレーンで食べるやつですか?」であるというツイートもあった。詳しくは「プレーン」や「ホットケーキ」などのそれっぽい単語でTwitterで検索してください。
どちらのツイートもバズっていたし、これは確かだなと思った。
そして、僕は発言は文字通りに受け取るコミュニケーションをしたい。

人の発言を文字通り受け取らず深読みしたり忖度することには、いくつか問題がある。

深読みには無限ループがある

発言の文字通りの解釈は発言に明示されていることを読み取れば良いので有限だ。しかし、発言の深読みには無限のバリエーションがある。
深く読もうと思えばいくらでも読めるので深読みは無限ループにハマってしまう。裏を、あるいは裏の裏、もしくはそれ以上を読んでしまう。節子、それ裏の裏やない。表や。
発言の真意は発言した人の心の中にはある。他人は外からそれが知ることはできない。分からないことを深読みしても仕方ない。もし読み合いに表と裏があるとして、そのどちらが正しいか分からないのなら、常に表を選んでも良くないですか?だって、正解は分からないのだから。

深読みはネガティブ方向に進むことが多い

これは文字通りだが、深読みというのは基本的にネガティブ方向に読むことが多いと思っている。 自分の経験則的にはそうだし、人間の思考回路がそうなっているはずだ。
人間が進化の過程で獲得した思考回路なのだろう。人類の歴史のほとんどを占める石器時代は、例えば草むらの後ろで何か音がしたら「もしかして猛獣が隠れているかも?」と不安方向に考える方向に進化が進んだ。不安に思わなかった個体はその場で命が終わり遺伝子は後世に残らなかっただろうから(って最近読んだ「スマホ脳」という本に書いていた)
上で書いた「深読みには無限ループがある」とのコンボのマイナスのシナジーが強いのが厄介だ。無限ループでネガティブな方向に感情が進んでいくのは精神的にかなりきつい。気が滅入ってしまう。
だから、繰り返しになるが、発言は表で受け取るべきだ。

忖度は余裕がなくなると出来なくなってしまう

順調な時はいいんだ。順調だから。問題は不調の時だ。
不調になると余裕がなくなり、気配りができなくなる。気配りができないと必然的に忖度もできなくなってしまう。もし忖度の応酬で成り立っている関係ならば、破滅するだろう。
余裕がなくなった場合に破滅する可能性が少しでも出てしまうくらいだったら、普段から面倒でも少しコストは払ってでも明示的なコミュニケーションを取った方がいい。

発言を文字通り受け取るべき時に受け取れなくなってしまう

これが一番の問題だと思っている。深読みをする癖があると、発言を文字通り受け取るべきシーンでも文字通り受け取れなくなってしまう。
もし誰かが本心で誘いや善意や称賛を発してくれた時に、それを素直に受け取れなくなるのって悲しくないですか?


深読みしたり忖度することの問題を色々と書いたが、結局僕はコミュニケーションはシンプルな方が楽だと思っているから文字通り受け取りたいのだ。何事もシンプルに行けるならシンプルが一番だ。

発言の深読みはやめろ。裏読みもやめろ。読み合いは放棄して常に表で受け取れ。

とはいえ、上で書いたのは一般論と原則僕はこれで行きたいという考え、意思表明だ。一般論として、発言は文字通り受け取るのが望ましいと僕は思っているし、周りも実際にはそうであってほしい。なぜなら楽だから。
しかし、ある二人の関係を取った個別のケースは別の話だ。
これは毎回言っているしこれからも言い続けるが、ある二人の関係においた任意の事柄はその関係において最適化するべきだ。その時世間は関係ない。自分たち用にアレンジしろ。夫婦なら夫婦間のコミュニケーションプロトコルを調えろ。その二人間の正解を創れ。繰り返すが世間は関係ない。
件のツイートのケースだと、夫は妻がどう受け取るかを見据えて発言内容を考えるべきだし、少なくともその発言で妻がどう受け取るかは推測できるべきだ。原則は発言は文字通り受け取るべきだと思うが、原則は原則だからだ。


ある程度の関係性があればというprefixがあり、ケースバイケースで難しいところではあるが、社交辞令は社交辞令として捉えない方向に少し傾けてもいいのではとも思っている。
つまり、人の言う「今度○○したいね」は「今度〇〇したい」と受け取っていいし、「○○したいのか」と思って「では、いつやりますか?」でいい。
「また今度ご飯に行きましょう」は「また今度ご飯に行きましょう」という意味なんですよね。それは社交辞令として忖度するな。そこで押さないと人生でその””今度””が訪れないことがある。俺は詳しいんだ。

それでは、まず私が「また今度ご飯に行きましょう」と言いますので、皆さんは「いつ行きましょうか?」と返してください。はい、〇〇さん早かった(〇〇さん募集中)