しふみんの日記

しふみんの日記です。

ランダム性のない対戦ゲームにおける人対策

ランダム性のない対戦ゲームにおいて人対策はあるのだろうか。
例えば、将棋だと、ある盤面における選択手が、対局相手がAさんかBさんによって変わるものだろうか。盤面が一緒でも、Aさん相手ならこのように打つけど、Bさん相手だと別の手を打つというふうに変わるのだろうか。
そんなことを思って、「将棋」「人対策」「プロ」「メタ」「対策」等のワードを組み合わせてググって調べてみたけど、将棋における人対策に言及している記事は特に見つかりませんでした。


ただ、将棋のプロ同士の対局では相手によって戦法を変える(相手が苦手な戦法を打つ?)棋士もいるみたいで、そりゃそうだよなという気もするけど、相手によって戦法を変えるということは、言い換えれば、(ある戦法に持っていくために)序盤の局面で相手によって打ち方を変えることに他ならないから、これはランダム性の無い対戦ゲームでおける人対策を行っていると言っても良さそう。
しかし、中盤戦、終盤戦に関しては、中盤は駒得・手得の評価、終盤は相手玉を詰みに持っていく寄せの評価が、どの手を選ぶかを考える際のウェイトとして高まるだろうから、人対策が入り込む余地は少なくなりそう。

 

したがって、ランダム性のない対戦ゲームにおける人対策は、序盤は相手が苦手な戦法に持っていくために存在しうるけど、局面が進むに連れて手の選択におけるその他項目の評価のウェイトが高まるため、存在可能性が急激に減っていくのではないかなと思いました。

 

 

米長邦雄 - Wikipedia

また、同じ振り飛車党に対しても大山に対しては位取りをメインにした持久戦を、森安に対しては鷺宮定跡(急戦)を採用するなど、 相手によって戦法を変えることを明言していた

 

プールに行きたい時に代わりに行くと捗る喫茶店

コメダ

 


数ヶ月前、喫茶店に入った時にたまたまおしぼりを鼻に近づけたところ、おしぼりから微かにプールの匂いがすることに気づきました。「プールの匂いでイメージするあの匂いは消毒剤の匂いで、おしぼりにも似たような消毒成分が入っているから同じような匂いがするんだろうな」とその時は考えたのですが、僕はプールの匂いが大好きなので、「どうせならどこの喫茶店のおしぼりが一番プールの匂いに近いか調べるか」と思い立って、ここ数ヶ月の間、喫茶店・カフェに行った時に出されたおしぼりの匂いを嗅いでいきました。

 

そして、喫茶店・カフェのおしぼりをつぶさに調査していった結果、一番プールの匂いに近い匂いのおしぼりを出しているのが、そう、最初に書いたコメダのおしぼりだったんです。
プールの消毒剤の主成分の次亜塩素酸ナトリウムの匂いに一番近いのが、コメダのおしぼりに含まれている消毒成分の二酸化塩素?だったんでしょう。

 

日本にある喫茶店・カフェチェーンのおしぼりはひと通り調べて結果が出たと思うので、プールの匂いに一番近い匂いの喫茶店・カフェのおしぼり調査はここで一旦打ち切りにしたいと思います。
プールに行きたい時に代わりに行くと捗る喫茶店はコメダコメダに行けば、おしぼりでプールを感じつつコーヒーを飲みながらケーキを食べられて色々と捗るぞ。
そう、僕がここ数ヶ月全くプールに泳ぎに行っていないのは、コメダのおしぼりにプールの匂いを感じて満足してしまったからなんだよなあ。そういうことにしていこうと思います。

 

よく分からないからガンダムで例えてくれのリスク

よく2ch


Aさん「◯◯のことよく分からないから△△で例えてくれ」
Bさん「(△△で例える)」

 

というやりとりがあるけど、

この場合のAさんの理解度って

 

Aさんの理解度 = (Bさんの◯◯の理解度) × (Bさんの△△の理解度) × (Aさんの△△の理解度)

 

になるので、下手したら、Aさんが(よく分からないと言っている)○○を直接解釈する理解度よりも落ちるリスクがあるなあと思いました。

Aさんのよく分からない◯◯の理解度とAさんのよく分かっている△△の理解度の直接対決と思いきや、Bさんが例え話をするときにBさんの◯◯の理解度とBさんの△△の理解度が間に絡んでくるのが盲点だけど重要っぽいですね。

 

今現在「ぷよぷよを""確率論""で"""攻める"""」をテーマに確率論・統計学の勉強を進めているんだけど、統計学の条件付き確率を求めるときのベイズの定理に似ていて面白いなあと思いました。

 

ベイズの定理 - Wikipedia

 

対戦ゲームのAIが人間が太刀打ち出来ないくらい強くなりすぎたら

対戦ゲームのAIが人間が太刀打ち出来ないくらい強くなりすぎたら、対人間のAIの開発は鈍化してAI VS AIで強くする方向にAIの開発が進むのだろうけど、それとは別に、AIの進化の第二ラウンドとして、AIが作るAIの開発が進む時代に突入したりしないかなと思いました。

 

つまり、対戦ゲームで、人間が作るAIに勝つために、AIが作るAIを開発する時代。
AI開発の自動化!怠惰!
ただ、AIを作るのはAIが自動でしてくれるけど、このAIが作るAIを開発するのは結局人間で、AIを作るAIのアルゴリズムって皆目検討がつかないので、AIが作ったAIが人間が作ったAIを打ち破るのにかかる時間は、AIが人間を打ち破った時間よりはるかに時間がかかりそうな気がきます
なんやこのAIと人間がゲシュタルト崩壊する文章は!

 

チェスは既に世界チャンピオンをほぼ確実に打ち負かすAIが開発されているので、自分が知っている対戦ゲーム(ゲームという括りがおかしい気がするけど)のうち、まだ人間 VS AIでトップ層なら人間側が勝つ対戦ゲームは将棋とぷよぷよだけど、この2つもあと数年で人間がAIに完全に太刀打ち出来なくなる時代が来ると思うので、その時の対戦ゲームにおけるAI開発がどのように進むのか楽しみです。

 

Twitterでブロック(リムーブ)したことを報告することについて

Twitterで「〇〇(アカウント名)をブロック(リムーブ)した」と、ブロック(リムーブ)したことを敢えて報告する人に若干の見苦しさを感じていたんだけど、全フォロワーに対して、「私は〇〇と敵対したわけだが、あんたは私と〇〇のどっちに就く?」と問いかけしているという風に理解すれば、合点がいくし逆に格好良さすら感じるようになったので良かったです。

 

もしトヨタ工場の女子マネージャーがミスドナの『ドーナツ』を食べたら(略称 : もしドナ)

タイトルと本文は関係ありません。

 

最近、ミスドナ(ミスタードーナツの次期標準略称(予定) : 非公式)によく行くようになって、その理由は別の記事で書くとして、この前久しぶりにお店でチョコファッションを食べました。そしたら、チョコファッションが予想以上に美味しかったので驚きました。

 

チョコファッションは美味しいものなので、美味しいのは美味しいと思うのですが、なんで”"予想以上に”"美味しく感じたんだろうと不思議に思ったので考えてみました。たぶん、これは、自分の中のチョコファッションの味の期待値の算定根拠は、親がたまにミスドナで持ち帰りで買ってくるドーナツに紛れ込んでいるチョコファッションになっているからだと思います。
このチョコファッションは食べるまでに少なくとも作られてから半日から1日ぐらいが過ぎてしまっている。だから、出来てから時間が経つにつれてパサパサしていった(油の酸化のせい?)ものになります。でも、お店で食べたチョコファッションは作られてから間もないので、パサパサしていなくて柔らかく、また油が酸化していないので風味も良い。
だから、自分が普段食べ慣れている作られてから時間が経ってパサパサしているチョコファッションの味の期待値を予想していたので、お店で食べた作りたてのチョコファッションが、””予想以上””に美味しく感じたのだと思います。

 

ここからはミスドナのチョコファッションを食べてからしばらく後に思った全くの余談です。

 

僕の普段の家にある食べ物の消費戦略は、「消費期限(賞味期限)のヤバいものから優先して食べていく」です。
これ自体は、普通のことだと思うのですが、消費期限がギリギリの食べ物が出てくるということは、そもそもの家にある在庫が余剰だということです。これはどう考えても好ましくなくて、そうならないように、つまり、消費期限がぎりぎりのものを食べなくて済むように、あまり買い溜めせずに適宜買って即消費して、食べ物を買ってから消費するまでのサイクルを全体的に早めた方がいいに決まっています。作りたての方が美味しいし健康にも良いのは間違いないので、そうした方がQOLが上がるからです。
そう、これこそが、食べ物の消費戦略におけるトヨタのJust In Time戦略の応用なのです(ここで無理やりタイトルに結びつける)。
http://www.toyota.co.jp/jpn/company/vision/production_system/just.html

 

しかしながら、この日記を書く少し前にAmazonで大昔に買った「キューピーあえるパスタソース 納豆」(賞味期限2015年4月9日)を食べたので、理想と現実には深いギャップがあるし、何事も実践するのは難しいなあと思いました。

 

人生と対戦ゲーム

ドトールで友人とディベートについて話した時に思ったことをそのうち忘れそうなので書きます。
 
僕は、人生は現在の状況から高得点を目指していくゲームという風に思っています。
人それぞれ生まれた時の環境に差があって、その後の生活環境でも差があるけど、それはそれとして、その状況からいかにして高得点を目指して行動していくゲーム。対戦相手はいないけど、あえて仮定するなら全く同じ状況で始めて人生2週目の僕で、その僕より高得点を狙うべく行動していく。よく言われる「配られたカードで勝負するしかないのさ」っていうやつが似ているかもしれません。
 
で、対戦ゲーム。
環境によって難易度の差がある人生だからこそ、その人生の中で行う対戦ゲームは各参加プレイヤー間に公平であってほしいという思いがあります。この公平というのは、(少なくとも)スタート時には公平で有利不利の差がなくて、同じ条件でゲームが始まるという意味です。また、これはランダム要素を認めないという意味ではなくて、プレイヤーが選んだ行動に伴うランダム要素はありです(桃鉄におけるぶっとびカードを使ってどこに飛ぶかというランダム要素等)
 
この考えでいくと、例えば、競技ディベートは論題に対して肯定側と否定側の立場で有利不利の差があるので、勝敗を決める対戦ゲームとしては相応しくない。ただ、同じ論題に対して肯定側と否定側を入れ替えて2セット行って合計点数?で勝敗を決めるなら対戦ゲームとしてあり。
もう1つの例を。将棋だと先手後手で有利不利があるので(たぶん若干先手有利?)、対戦ゲームとして相応しくないけど、先手後手の入れ替えを行い先手後手を同回数行った試合の勝敗数で勝負を決めるなら公平なので対戦ゲームとしていいゲームになる。
 
そんな風に考えていたら、人生も、10000回くらい繰り返してその合計点数で勝負したら、経験する環境の格差補正が均一化されるからいいゲームになると思えてきたな。