しふみんの日記

しふみんの日記です。

夢の中で

先日仕事中に母親から「ピンキーが死んだ」というメッセージが届いた。"ピンキー"とは実家で飼っていたダックスフントの名前だ。動揺はしたけど、その時は特に涙は出ずに仕事をそのまま続けて退社後にメッセージを返した。

 

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僕にしては割と大げさなツイートをした後に、起きていても精神に良くないだろうと思ってその日は家に帰ってご飯も食べずにすぐにベッドに入り寝た。 

それからしばらくの間は「15年以上生きていて、最近は目も耳もほとんど機能していないくらいに老化していたし、寿命だし仕方ないか」とか「実家暮らしで毎日見ていたら危なかっただろうけど、一人暮らしで離れていると亡くなってもそこまでの気持ちは出ないんだな」とかを思いながら過ごしていた。

しかし、その3日後くらいに実家に帰省する夢を見た。夢の中では実家に着いた後に「そういや、ピンキーは死んだんだっけ」と思ってケージが置いてある*1リビングに行くともちろんピンキーの姿は見えないんだけど、そのケージの中になぜかピンキーを模した木の置物が置いてあって、それを見ると涙がこぼれてめちゃくちゃ泣いてしまって夢が終わって起きた後も心臓がすごくドキドキしていた。

そして、その1週間後に現実世界で帰省する予定があって、本当に実家に帰省した。当日は朝起きた時からずっと「もしかして……いや、まさかな……しかし……」みたいに思っていて、実家に着いた時にめちゃくちゃドキドキしながら一番最初にリビングに向かった。恐る恐るリビングを覗くとそのケージの中には何もなかった。それを見て逆に安堵して「よし、現実だな」と思って、そして改めて「残念だなあ」という気持ちになったのであった。

*1:室内犬なので室内で飼っていた

Inkdropを年間契約した

www.inkdrop.info

Inkdropを年間契約した。年間契約で53.89 USD (tax included)なので換算レートを考えても一ヶ月あたり500円弱(のはず)。

以前は技術メモはKobito、生活メモはEvernoteiOS,MacOS標準Notesアプリと分けて利用していて多少の不満はあったけど切り替えるほどではなかった。しかし、Kobitoのサポートが去年末に終了したため、それを機にメモアプリの運用についてゼロから考えながらここ数ヶ月間は技術メモのアプリの移行先を探していた。

重視した点*1は以下の通り

上記をすべて満たすアプリがあればメモアプリを一元化できるなという結論が出て、そのアプリがInkdropだった。 競合としてQuiverが最後まで残ったけど、Inkdropの方が何となく好みだったのでフリートライアル期間を経て特に問題ないことを確認し先日年間契約に至った。Inkdropはマネタイズがコスパ厨が最も忌み嫌うサブスクリプション型であるけど、毎日4時間以上は使っている*2ので十分にその価値はあると判断している。使い方についてはまた別途記事をあげるかもしれない。

blog.craftz.dog blog.craftz.dog

上記はInkdrop作者のブログとその記事の1つだけど、使っている大きな理由として「日本人開発者が最初から世界のマーケットを視野に入れた個人アプリの開発で生きていくのを見届けたい」というのもある。この「好きなことで生きていく」のを見届けるためにブログの方もチェックしていきたい。

*1:というか必須

*2:使っているの定義とは、だが

なぜSNSに愚痴を書かないか

僕はSNSには愚痴を書かないようにしている。これは、「僕はSNSに愚痴を書かない(のでその点においては信頼してほしい)」というシグナリングも狙っていないことはない。ないことはないんだけど、そうじゃない。そうじゃないんだ。

「好きの反対は嫌いではなく、無関心」という有名な言葉があるけど、あれと同じようなことを愚痴に対して考えていて、愚痴を吐くということはその対象であるネガティブな何かがあったわけで、SNSに投稿するとそのネガティブな何かがログに残ってしまう。他人にそれを見られることはどうでもいいとしても、未来の自分が過去のSNSの投稿を検索した際*1に、その投稿が引っかかってそのネガティブな何かをまた思い出してしまう、それが嫌なんだ。これは愚痴を投稿してしばらくして消す運用の場合も同じで、消す時にその投稿を絶対に見る必要があるので上と同じ理由でダメ。

ネガティブな何かを忘れるためにはそのことについて一切触れないのが最短だと思っている。そう思って今まで僕はSNSに愚痴を書いていないし、これからもたぶんそう。そして、これは完全に自分のためなんだ。

*1:そして僕は比較的よく過去の自分の投稿を検索する

オタクの子育て

オタクが結婚して子供が産まれて子育てを行う場合、子供がオタクに育った方が親子間でオタクコンテンツを楽しめて家族の仲は良くなりそうだけど、一般的にはリア充に育った方が社会は生きやすいはず。そのバランスを取るのが難しそうだと思ったけど、よく考えると、そもそも論として、オタクが子育てして子供の性格をリア充寄りにコントロールして形成できるのかという問題が立ち塞がっている気がしているのであまり考える意味はなさそう。

効率について考える2 食器洗いの予備動作

2018年の標語は「ドラム式、ルンバ、食洗機。」であるが、ルンバと食洗機をいまだに手に入れられていないため、現在は自分で食器を洗っている。この食器洗いというものは家事の中でも特にMPの消費が激しいので、以前は放置したまま翌朝を迎えてしまいただでさえ忙しい朝によく泣きながら洗っていた。

しかし、最近は夜寝る前にちゃんと(?)洗えるようになった。どうしたかというと、食器洗いのために予備動作を取り入れた。予備動作というのは、具体的にイメージしやすいところでいうと、イチロー選手が打席に入った時にやっている腕を一旦伸ばしてバットを立て袖を捲るといった、毎回行うルーティンの動作のこと。

僕が採用した食器洗いの予備動作はただ「夜寝る前にトイレに行く」だけ。夜寝る前にトイレに行きトイレの中で手を洗わずにシンクで手を洗おうとする。すると、「どうせ手を洗うなら一緒に食器も洗ってしまうか」という気持ちが生まれる。なぜなら、この時効率厨は手洗いと同時に食器も洗うと手洗い1回分弱の労力と水道使用量を抑えられるなと考えるから。

以上が、僕が考えるシンクに食器を溜めない方法についての明確な回答になり、この食器洗いの予備動作を採用してからは、夜寝る前にトイレに行った日には翌朝までシンクに食器が溜まらなくなった。が、それはそれとして、食洗機があればこんなことわざわざしなくていいんだよ。

Done is better than perfect.

いかにして日記の更新を成功させる確率を高めるかについていい方針を見つけた気がするので書く。

その方針とは、標題の、言ったか言っていないか諸説あるマーク・ザッカーバーグの名言の通りなんだけど、「完璧を目指すよりもまずは終わらせろ」。これを日記を書くことに応用すると、「日記を書いたらとりあえず公開する」となる。

もうちょっと具体的にいうと、最近は""ある程度の完成度""の日記が書けたらとりあえず「公開する」ボタンを押すようにしている。この時は誤字脱字を確かめないどころか公開前の読み返しすらしない。公開してから文章を通読して、誤字脱字の確認や分かりやすい表現などの修正をするようにしている。

先に書いておくと、このスタイルのデメリットは「更新通知を流してその通知ですぐに読みに来てもらっている人には、(最終版よりも)完成度の低い文章を読ませてしまう」こと。これは本当に申し訳ないと思う。が、それはそれ。そういうこともあるでしょう。

恐らくだけど、最初から100%を目指すからつらいんだ。まず70%くらいの文章を書いて公開してしまい、そこから完成度を上げていけばいい。このスタイルの方ががトータルで考えると、執筆所要時間と、そしてこちらの方が重要だけど、いい文章を書かないといけないという精神的な負担を減らせる。なにせ、一旦公開してしまうからね。そこでリセットされる(気がする)

しばらくはこのスタイルでいこうと思う。

 

同じ方を向いている

飲食店等で人間と会話する時、テーブル席で面と向かっている状態よりもカウンター席等で平行に同じ方を向いている方が会話が弾む気がしている。これは僕がコミュ障だからなのか、あるいは人の目を3秒以上見つめられないからなのかは分からないけど、ともかく、面と向かっていないことと同じ方を向いていることが会話を弾ませるのに大事っぽい。「面と向かっていない」だけだと背中合わせの位置関係が考えられて、これは会話が弾まないので「同じ方を向いている」も必要。

これは割と応用が効いて、例えば、カップルシート、散歩、ドライブなども会話が弾みがちになっている気がする。そして、この前は家に泊まりに来た友人と夜寝る時に電気を消して横になった後2時間ほど昔話をしてしまった(これもまた天井という同じ方を向いていたということになる)