しふみんの日記

しふみんの日記です。

Re: 【要返信】『ぷよぷよカップ』2018年度6月大会参加当選通知のお知らせ

下記が大会参加当選通知へのアンサーとなります。
ご査収ください。

流れで参加した先月のぷよコネ!!!のぷよぷよ大会を除くと、最後に対戦ぷよをやったのは2017年の元旦だった。

それからの1年間半ほどは全くぷよぷよを触っていなかった。ぷよぷよを上達しようと思いながら触るとどうしても時間がたくさん必要で、それよりも人生のフェイズ的にはプログラミングに打ち込みたかったという理由があったのでぷよぷよからは距離を置いていた。ただ「これはぷよぷよ引退ではなくて何かきっかけがあったらまたぷよぷよを再開してもいいな」とはずっと思っていて、去年は全くそのきっかけがなかったのだけど、今年は、というか今まさにそのきっかけができたのでまたぷよらーとしてやっていきたいと思う。

環境を整えれば勝てる

僕の母校の高校は兵庫県の公立高校だったのだけど、ありがちな自称進学校で前年度の関関同立は0人だった。もちろん京阪神も0人。関西の自称進学校だとこれはすごい快挙です(逆の意味で)

そんな高校に進学したわけで当初の学力はクソ雑魚だったんだけど、ある日天啓にうたれて上を目指したいなと思い始めてそれからやる気を出してやっていっていたら、いつの間にか周りにやる気がある人間が集まるようになっていた。皆やる気があったので、一緒に学外の模試を受験したり学校の帰りに街唯一の大きな本屋に参考書を見に行ったりと受験勉強モチベの維持にめちゃくちゃ貢献してくれた。

この原体験があって、僕は人よりも環境の良さを重視する傾向が大きいと思っている。「いい環境に飛び込む、あるいはいい環境を整えるのは大事。本人がクソ雑魚でも環境さえよければ勝てる」は座右の銘と言っても過言ではない。

「環境を整える」までいくと規模が大きくなってそうそう簡単に行えることではないけど、同じ文脈の導入しやすいところでは、何かを始めるときに形から入るのは十分にありだと思っている。形から入るとワナビーやら何やらと揶揄されがちだけど、僕は(形から入ることによる)やる気が出る効果は馬鹿にできないほどに大きいと思っている。また初期投資を行っているので成長効率も良くなるはずだ。なので、僕は積極的に形から入っていくことにしている。

というわけで、ぷよぷよカップのエントリーに当選したら初手PS4ぷよぷよテトリス購入を打ちたいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。

Twitterをやっていない人にTwitterの魅力を説明するのが難しい理由

昔にTwitterのアカウントを作ったけど数ツイートをして終わりそれからは全く触らず、みたいな友人が何人かいて、たまに「Twitterはどこが面白いのか」や「どうすればTwitterが続くのか」といったことを聞かれる。しかし、「Twitterはどこが面白いのか」も「どうすればTwitterが続くのか」もどちらも説明が難しい。確かにTwitterが「面白い理由」があって面白いと感じているはずだし、「続く(続ける)理由」があって続いているはずだ。

Twitterの「面白い理由」と「続く理由」は別で書くとして、今回は標題の「Twitterの魅力を説明するのが難しい理由」を書きたい。

僕はTwitterの面白さは一言でまとめると「タイムラインが面白いし、タイムラインを見てツイートをするのが面白い*1」だと思っている。だけど、Twitterをまだやっていない人は、Twitterの画面を見たことがないか、あったとしてもせいぜい誰かのアカウントのwebのホーム画面しか見たことがないと思う。誰かのホーム画面は誰かのツイートしかないし、これはもちろんタイムラインではない。また、Twitterをやり始めて間もない人は、自分のタイムラインは存在するだろうけど、それが面白いと感じる自分の好みのものである可能性は低いと思う。そもそもどのようなアカウントをフォローしたらいいのか・面白いのかが初見だと全くわからないし、その答えも人それぞれなので結局は時間をかけて自分で試行錯誤しながら構築していくしかないからだ。

つまり、「Twitterの魅力を感じる上で自分好みのタイムラインの構築はマストだけど、そもそも自分好みのタイムラインを構築するのがめちゃくちゃ難しい」のがTwitterの魅力を説明するのが難しい理由だと思っている。体験しないと魅力が分かりづらいのにスタート地点に立つのが難しい。だから、Twitterは初動が難しいというのは絶対あると思うんだよね。

*1:詳細はまた別に書く、と思う

厚塗りするようにブログを書く

既にテーマが決まっていてそれに対して張り切ってブログを書こうとすると、どうしても勢いが持たず最後の方が雑になってしまうということが多い気がしている。結論部分を丁寧に書いた方がいいのに結論部分を書く頃には疲れてしまっていて雑に投げたり。

そこで、文章の枠組みだけを最初に用意してそこから全体的に肉付けしていくのはどうだろうかと考えが思い浮かんだ。
例えば、「AとBのコスパを考える」という記事なら、最初に

  • AとBのコスパを考える
  • Aの具体例、Bの具体例
  • Aの方がコスパがいい
  • 理由は○○
  • Aは最強

という枠組みだけを用意する。そして、あとはその枠組みを元にひたすら厚塗りするように全体を、それぞれの文章を追加したり接続詞を置いたりして、少しずつ修正していく。

そもそも、この方法で文章が書けるのかという問題があるけど、もしこの方法で書いた場合、少なくとも文章の勢いが尻窄みになることは少なくなる気がする。なぜなら全体的にそれぞれの部分に対して同じ時間をかけることになるはずだから。

しかしながらこの方法で文章を書いたとしても、出来上がった文章がいい文章になるか分からない上に時間もたくさん必要な気がする。でもって、冷静に考えると僕に厚塗りの経験はなかった。

格下キラーという概念についての僕の認識

対戦ゲーム界隈の話を聞いていると「あの人は格下には滅法強い」といったいわゆる格下キラーの話を稀に聞く。確かにその人が本当に格下には滅法強いという場合もあると思う。しかし、僕はその格下キラーという概念について「構造上、ある種の人が格下キラーに見えやすい場合が存在していて、外野からはそう見えているだけの場合が多い」という仮説を持っていて、先日その話を友人にしたのでこの記事で概要を書きたい。

どういう場合に格下キラーという存在が生まれるかというと、

  • Aランク、Bランク、Cランクといった実力が同レベルの人を集めたランク分けが存在する
  • Aランクリーグといったものが存在し、同ランク同士の対戦が別ランク同士の対戦に比べて多い

この2つである。上記の構造がある時に、「一番上のランクの最下位にいる人は格下キラーに見えやすくなる」と思っている。

具体例を挙げると、例えばその対戦ゲーム界隈には15人いて実力順に5人ずつAランク1位,2位……,5位,Bランク1位,2位(以下略)と順位付けされているとする。この場合にAランク5位の人が格下キラーに見えやすい。

これはなぜかと言うと、Aランク5位の人は同レベルの集まりであるAランクの集団の中では5位の実力なので、Aランクリーグでの対戦は互角、あるいはほぼ互角だが負けるといった結果が多くなる。しかしBランク以下の人との対戦は相手のランクが下なのでほぼ勝つ結果となる。これらの結果がAランク5位の人を格下キラーに見えやすくさせるのである。

「これはAランクの他の4人も同じなのでは……?」と思うかもしれない。しかし、微妙に状況が異なる。例えばAランク1位の人の場合を考えると、Bランク以下の人との対戦にほぼ勝つ点は同じだけど、Aランクの中では1位の実力なのでAランクリーグでの対戦は互角、あるいはほぼ互角だが勝つといった結果になる。つまり、Aランク1位の人はBランク以下の人には勝つし、Aランクの他の人に対しても勝つことが多いのである。翻って、Aランク5位の人は「Bランク以下の人には勝つけど、Aランクの他の人に対しては苦戦する」となる。

Aランク1位の人も5位の人もBランク以下の格下に強いのは同じだけど、これらの結果の違いが外野からは「Aランク5位の人は同ランクの人たちが相手だと苦戦しているけどBランク以下の人たちには滅法強いし、格下キラーだな」というふうに認識させると考えている。

オプション保持はそこまでいい択ではないのではないか

最近何となく考えていることシリーズ。

標題の通り、オプション保持はそこまでいい択ではないのではないかと最近考えていて、ここでいう「オプション保持」とは僕が適当に付けた名前で、もう少し詳しく説明すると「ある不可逆な行為に対していくつかの選択肢がある場合に、どれを選ぶかの決定を(不必要に)先送りにすること」となる。これも分かりづらいので具体例を挙げると「パナソニックと日立とシャープと東芝のメーカーのうち、どのドラム式洗濯乾燥機を買うかの決定(購入行為)を先送りにする」ようなこととなる。

返品等を考えないとすると、この場合のドラム式洗濯機の購入は不可逆な行為で一度購入すると取り消すことができない。なので、購入しようとするメーカーを変更できることやそもそも購入しないという択を選ぶことができることを考えると購入を先送りにするのは一見ノーリスクのアド行為のように思える。しかし選択肢を保持しているということは、「いつ選択を行使するのか」と「どの択を選ぶのか(あるいは選ばないのか)」の2つについての考えを頭の片隅に抱え込むことに他ならない。このコストは過小評価するべきものではないと思っている。例えるなら、本来最大MP100のはずなのにこの選択を抱えることによって常時最大MP95の状態で戦い続けることになっているのではないのだろうか。そして、このコストは、例えば「パナソニックドラム式洗濯機を購入する」という決断をすることによって解放される(我が家のドラム式洗濯機パナソニック製です)

したがって、まとめると「どの択を選ぶかがほぼ定まっている"選択"は不必要に決断を先延ばしせずに早めに行使しよう。なぜなら不必要な選択肢保持コストを解放できるから」となる。

なお、本題から離れるのでこの記事では「各メーカーはドラム式選択乾燥機は毎年10月に発売するので、10月以降は待てば待つほどドラム式洗濯機の価格が下がっていくので(翌年の9月前後までは)限界まで待つのがコスパがいい」というコスパ厨的考えはないものとしている。

それが、人間えら過ぎもしない貧乏過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ

www49.atwiki.jp

美味しんぼの有名な台詞であるところの

いいかい、学生さん、トンカツをな、トンカツをいつでも食えるくらいになりなよ。それが、人間えら過ぎもしない貧乏過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ。

これを自分に当てはめると何だろうと考えた時にまず思い浮かんだのは

カフェに入った際に(お腹が減っている時は)コーヒー以外に躊躇なくケーキやサンドイッチを頼めること

だった。これは就職した時点でクリアした。
これを第一段階だとすると、第二段階として思い浮かんだことは

インターネットの向こう側にいる友人らが誕生日等にAmazonの欲しいものリストを晒した時に躊躇なくプレゼントを送れる

だった。これは実家暮らし社会人の時は余裕だったが、東京コンクリートジャングル一人暮らしを始めてからはお金がピュンピュン飛んでいくので控えていた。しかし、これもそろそろクリアしにいくかと思ってそのために動き始めた。そしてそれは恐らく今年中に達成できるだろうと踏んでいる。