しふみんの日記

しふみんの日記です。

人生と対戦ゲーム

ドトールで友人とディベートについて話した時に思ったことをそのうち忘れそうなので書きます。
 
僕は、人生は現在の状況から高得点を目指していくゲームという風に思っています。
人それぞれ生まれた時の環境に差があって、その後の生活環境でも差があるけど、それはそれとして、その状況からいかにして高得点を目指して行動していくゲーム。対戦相手はいないけど、あえて仮定するなら全く同じ状況で始めて人生2週目の僕で、その僕より高得点を狙うべく行動していく。よく言われる「配られたカードで勝負するしかないのさ」っていうやつが似ているかもしれません。
 
で、対戦ゲーム。
環境によって難易度の差がある人生だからこそ、その人生の中で行う対戦ゲームは各参加プレイヤー間に公平であってほしいという思いがあります。この公平というのは、(少なくとも)スタート時には公平で有利不利の差がなくて、同じ条件でゲームが始まるという意味です。また、これはランダム要素を認めないという意味ではなくて、プレイヤーが選んだ行動に伴うランダム要素はありです(桃鉄におけるぶっとびカードを使ってどこに飛ぶかというランダム要素等)
 
この考えでいくと、例えば、競技ディベートは論題に対して肯定側と否定側の立場で有利不利の差があるので、勝敗を決める対戦ゲームとしては相応しくない。ただ、同じ論題に対して肯定側と否定側を入れ替えて2セット行って合計点数?で勝敗を決めるなら対戦ゲームとしてあり。
もう1つの例を。将棋だと先手後手で有利不利があるので(たぶん若干先手有利?)、対戦ゲームとして相応しくないけど、先手後手の入れ替えを行い先手後手を同回数行った試合の勝敗数で勝負を決めるなら公平なので対戦ゲームとしていいゲームになる。
 
そんな風に考えていたら、人生も、10000回くらい繰り返してその合計点数で勝負したら、経験する環境の格差補正が均一化されるからいいゲームになると思えてきたな。